「僕、脳性まひ治ってきたかもしれない」と言われて

息子の幼稚園の卒園式

── その後、息子は幼稚園に入園。継続してリハビリを行いながら、身体機能も上がっていったそうですね。小学校に上がるころには車椅子と歩行器を使って移動できるレベルになっていたとか。

 

柴田さん:リハビリとともに、さい帯血を投与しました。さい帯血とは、お母さんと赤ちゃんを結ぶへその緒を「さい帯」と言って、さい帯と胎盤の中に含まれる血液を「さい帯血」と言うんです。さい帯を通じて、お腹のなかの胎児は母体から栄養や酵素を受け取っているし、さまざまな病気や治療にも使われています。
 

私は産婦人科の看護師だったので、民間のさい帯血バンクの存在も知っていて、娘たちを出産したときにさい帯血を保管しておいたんです。臨床研究に参加し、息子が5歳のときにさい帯血を投与しました。小学校入学を考えるころには、身体機能がよくなったことと同時に、IQ(知的指数)もほかの子どもと変わらない状態になっていたため、特別支援学校ではなく、地域の小学校に入ることを決めました。支援学級に在籍しながら、ほとんどの授業を通常学級で受けています。

 

── 息子さんが小学校に入ることで心配していたことはありましたか?

 

柴田さん:娘の学校生活ですね。息子が小学校に上がるのは、長女は中学1年生、次女は小学5年生になるタイミングでした。息子が次女と同じ小学校に入ることで、次女が息子のことでツラい思いをするかもしれないし、先生から頼られるかもしれない。次女に負担をかけたくないと思いました。ただ実際、息子が入学した後は、とくに大きなトラブルもなく過ごせているので安心しているんですけど。

 

── 息子さん自身には、いつ、どのように息子の障がいについてお話しされましたか?

 

柴田さん:改めて時間を設けて説明したことはないのですが、「なんで僕は歩けないの?」「なんで僕はリハビリをしなきゃいけないの?」など、身体の状態について息子から聞かれるので、その都度説明してきました。

 

── 息子さんもご自身の身体について理解されていると。

 

柴田さん:理解はしていますが、この前、息子からの言葉で困ってしまったこともあるんです。息子は小学2、3年生のころから歩行器か杖で歩くようになっていました。今年の1月に足の手術をして3月まで入院したことで歩き方がかなり改善され、1分くらいなら杖なしでも歩けるようになったんです。息子も手応えを感じたようで「僕、脳性まひ治ってきたかもしれない。すごく歩きやすくなったんだよね」と言ったんですよね。たしかに歩き方は改善はされていましたが、脳の画像を見ると以前と大きな変化はありません。医師が診たら「歩けない」と判断する方もいるかと思います。息子に「治ってきたかもしれない」と言われたときにどう答えたらいいか。自分のなかで準備ができていませんでした。とっさに「じゃあ今度は2分くらい歩けるかもしれないね」と答えてしまい。

 

── 脳の画像上では変化は見受けられないが、足の手術をしたら歩きやすくなっていた、ということでしょうか?

 

柴田さん:そうなんです。本来画像を見ると歩けないと判断されるだろうけど、なぜか歩きが以前よりスムーズになっています。息子を出産したときに、医師から「子どもの可能性は無限大」と言われたこともあったので、自分ではこういうこともあるのかな、と受けとめています。