生後40日で息子が脳性まひの告知を受けた柴田さん。親子で入院をし、懸命にリハビリに励みますが、その間、親族の家に預けられていた長女に異変がおきます。久々にあった長女の顔を見た瞬間、感じた違和感の正体は── 。(全2回中の2回)

久々に会った娘に違和感を覚えた

幼稚園の手すりを使って階段をのぼる息子

── 産婦人科の看護師として勤務していた柴田さん。子宮外妊娠を1回、流産を3回した後、娘2人と息子1人を出産しました。息子は2016年1月、妊娠31週の早産で生まれ、体重は1480グラム。生後40日で脳性まひの診断がつき、医師から一生寝たきりの可能性があると言われたとのこと。娘さんたちには、息子の脳性まひについて、いつ、どのようにお話ししていましたか?

 

柴田さん:息子は生まれてしばらくはNICU(新生児集中治療室)の保育器の中にいましたが、そのころから娘たちに「(息子は)頭に障がいがあるから、この先立つことも歩くこともできないかもしれない」と伝えていました。当時、長女が6歳、次女が4歳と幼かったので、どこまで娘たちが理解できていたのかわかりませんが、早い段階から話はしていたと思います。

 

── 2016年1月に息子が生まれたとき、夫は鹿児島に単身赴任中。柴田さんと娘たちは福岡に住んでいましたが、翌年の2017年4月から鹿児島に移住して家族で一緒に生活することが決まっていたそうですね。

 

柴田さん:鹿児島に移住した後も息子は病院に通うことを考えて、福岡にいるときから鹿児島の病院を探していました。2016年6月、鹿児島で脳性まひに詳しい病院を見つけて受診すると、先生から「今までリハビリをしてこなかったんですか?」と驚かれ、早急にリハビリを始めることに。その結果、息子は7月から11月まで、約4か月鹿児島の病院に入院することになって、私も息子につき添うことになりました。その間、娘たちは福岡の私の実家の家で居候させてもらっていたんです。

 

── 息子さんが入院したとき、長女が小学1年生、次女は幼稚園年中だったそうですが、娘さんたちは問題なく過ごせましたか?

 

柴田さん:実は、1度ショックなことがありました。息子が入院して2か月経ったころ。私は週に1回は鹿児島から福岡にいる娘たちに会いに行っていましたが、ある日、長女の顔を見たらすごく違和感があったんです。よく見るとまつ毛が抜けていて、長女に聞くと「自分で抜いた」と言うんです。ストレスによる自傷行為だと思いました。長女は4月から小学生になりましたが、新しい環境に慣れていなかっのたかもしれないし、私も息子につきっきりだったので、娘には寂しい思いをさせてしまったんだと思います。自分の感情がコントロールできずに、自傷行為に走ってしまったんだと思いました。

 

── 娘の自傷行為を見て、どんなお話をされましたか?

 

柴田さん:長女から「ママは帰ってきてもいつも怒ってる。怒ってばかりで全然お話を聞いてくれない」と言われました。私としては、実家で母にめんどうを見てもらっているから、「なるべくおばあちゃんに迷惑かけないでね」ってそればかり気になってしまって、たまに娘たちに会っても「これちゃんとしなさい」「あれどうなった?」と連呼。無意識のうちに娘たちにも厳しく当たっていたようでした。

 

長女の件があってから私も気持ちを切り替えました。娘たちとはできるだけ会話する時間を増やし、一緒に楽しい時間が過ごせるよう、心がけました。長女の気持ちも少しずつ落ち着いていったようで、自傷行為は止まりました。