「お酒なら」と今度はアルコールに走った
── 栄養失調になるほどのダイエットをしてしまっていたんですね。
マヤさん:最初はやせたいと思って始めたダイエットなのですが、もうこの時点では、食べることへの罪悪感が生まれていました。病院で先生から注意を受けても、ひと口でも食べたら太ってしまうと思ってしまっていて、食べることが怖くて。食べ物を噛んでから飲みこんで食べることはさらに怖かったので、何か少しでも体に入れようと、流動食のように食べ物をつぶしたり、とろみをつけたりと、いろいろ工夫したんですが、それでも何も食べられないときがありました。

── つらいですね。
マヤさん:悪いことはさらに重なって、私がそこで手をつけたのがお酒だったんです。食べたら太ってしまうという罪悪感があるけど、お酒なら大丈夫だろうと安易に思ってしまって。お酒を飲んでいたら気分が上がるし、少し食べただけで満腹感もある。心も身体も麻痺してしまっていて、飲まなきゃやっていられないという状況でした。
パリでは、ランチに乾杯することもあるくらいお酒が身近で、ファッションショーの際にもステージ裏のテーブルにシャンパンが並んでいることもあるんです。ちょっと軽くつまみながらお酒を飲んで、そのままランウェイを歩くということに味をしめて、日本でもショーの前に飲むのが癖になってしまっていました。
もともと日本ではモデルとして全然売れなくて、「ブスだ」と言われ続けていたのに、パリで仕事をして帰ってきたら手のひら返しのようにみんなからもてはやされました。「ワインかシャンパンないの?」なんて言っても、すぐにいうことを聞いてもらえる、まるで女王さまですね。少し酔っ払ってテンション高くショーに出て、踊ったり、かっこつけたり、みんなと違うことをして。「林マヤは金がかかるけど、おもしろくしてくれるからいいか」という扱いを受けていたと思います。
状況を打破するため「夫が農業を」
── この状況をどうやって変えていったのですか。
マヤさん:プライドが邪魔をして、病院には怖くて行きませんでした。げっそりした自分を人に見せるのが嫌だったんです。そんな私を変えてくれたのはダーリンでした。何を言っても聞かない私に対して、たとえば、飲んだお酒の瓶をとっておいて並べて「1週間でこんなに飲んだんだよ」と目で見てわかるようにしてくれたり、飲む量を減らすためにこっそりボトルに水を混ぜたり。お酒が好きと言っても、味がわかるタイプではないので、それにも気づかなくて。少しずつ、少しずつなんですが、お酒の量が減っていきました。
私が見た目にこだわることを知っているので、何かビジュアルから入れる食べ物はないかと探してくれたのが今、栽培しているようなかわいい野菜でした。「これならマヤマヤが食べてくれるかも」と、変わった野菜の種を取り寄せて、知人を通じて茨城の農家さんの畑をお借りして、独学で勉強しながら私のために野菜を作り始めてくれました。

── 妻のために!すごいですね。
マヤさん:野菜なら罪悪感なく食べられるだろうというのと、見た目から入るだろうという私の性格を知っていてのことでした。フィオレンティーノという変わった形のトマトがあるんですが、切ってみると断面がお花の形になるんです。ひと目見た瞬間に「わぁ〜かわいい!」と、心がウキウキしました。とにかく、ダーリンが持って帰ってくる野菜は今まで見たことがなくて、ルックスがかわいいものばかり。その野菜を少しずつ食べていくようになって、体調がだんだんと戻っていきました。
野菜のおつまみをいただきながら、お酒も減らしていって。自然のものをいただくって大事ですね。私は長野の出身で実家がリンゴ園でしたし、自分たちが食べる野菜やお米も作っていました。そういう幼少期の生活を思い出してほしいという思いもダーリンにはあったのかなと思います。アルコールに依存していたころは、毎日二日酔いだったのですが、きちんと食べて飲む量を調整して、早寝早起きの生活を続けた結果、すっかり元気になって風邪もほとんど引かなくなりました。
── 極端なダイエットをした過去を振り返っていかがですか。
マヤさん:かっこいい自分でいたいと思って始めたことだったのに、度を過ぎると自分ではコントロールが効かなくなってしまっていました。まさか自分がそんなことになるとは思ってもいなくて。ダイエットに関する勉強もせず、知識もないまま始めてしまったのもよくなかったと思います。誰もが思う「ちょっとやせたいな」にこんなに危険が潜んでいるとは思ってもみませんでした。今はもう、ダイエットという言葉がなくなってほしいとさえ思います。シェイプアップはいいけれど、ダイエットはよくない。
ダイエットのしすぎで亡くなってしまったモデルの方もいらっしゃいましたが、やっぱり食べることは楽しいことであってほしいです。おいしいものを食べて、それをうまくコントロールする方法や習慣を身につけるだけで変わると思います。私は誰にも頼らなかったのでここまでなってしまったのですが、うまく周りの人や専門の機関に頼ってほしいですね。心と体の健康を保つことのありがたみと大切さを感じています。
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夫が茨城で育てた野菜を食べているうちに、元気をだんだんと取り戻していったというマヤさん。そのうちに「もう一度、人生をやり直したい」と思うようになったそうです。夫婦ともに50歳、合わせて100歳の年に思いきって茨城への移住を決意し、家庭菜園を始めました。自然と向き合うことで、お金では買えない価値があることに気づいたそう。かつては通報されたこともあるほど派手な夫婦ゲンカをしていたそうですが、「野菜作りをしてからあまり怒らなくなった」といいます。現在は都会暮らしでは知り得なかった自分の新たな一面を知りながら、充実した日々を送っているそうです。
取材・文/内橋明日香 写真提供/林マヤ