モデルとして活躍していた林マヤさん。自分のコンプレックスを補うためにダイエットを始めた結果、食べ物を受け付けなくなりアルコールに依存していた過去があります。(全3回中の1回)
モデルとして生き残るために
── 1980年代にファッションモデルとしてデビューし、有名ブランドのコレクションなどで世界的に活躍されていました。その一方で、極端なダイエットをして体調を崩したことがあったと伺いました。
マヤさん:私は身長が171センチあるのですが、海外のモデルさんは180センチくらいあって、オーディションなどでも176センチ以上ないと落とされていた時代でした。

海外で仕事をしていたこともあり、小ぶりなことがコンプレックスだったんです。少しでも背を高く見せようとダイエットを試みました。やせて、洋服から見える手や脚が細かったら少しでも背が高く見えるんじゃないかなって。本当に体によくないのですが、1日1品目で過ごしていたんです。
── 1品目だけですか!?
マヤさん:もうダメダメですよね。1日1品目を3食。しかも1週間同じものを食べ続けるんです。パイナップルを食べ続けたら、翌週はこんにゃくしか食べない、その次はアイスクリームだけとか。体重は40キロくらいまで落ちて、ガリガリになりました。
── いかにも体に悪そうで心配になってしまうのですが、なぜそこまでのダイエットを試みたのですか。
マヤさん:海外のモデルさんは背が高くて細いのですが、胸はあって、ウエストはキュッと締まっていて、お尻はポンッとあって、とにかくかっこよくて憧れていました。どうしたら少しでも近づくかなと思って、試行錯誤した結果、パッドを3個ずつ入れて偽りの胸を作り、ヒップパッドもつけて、ベージュの腹巻きで腰から胸までを覆ってみたら、なんちゃってパーフェクトボディが完成。手足は細いのにグラマラスでかっこよく見えちゃうんですよ。偽りの自分を作りあげていました。
── やせなきゃと思ったのはやはりモデルという仕事が影響していたと思いますか。
マヤさん:もともと食べることは大好きなので、モデルをしていなかったらここまではしていなかったと思います。海外で仕事を始めてすぐは、短く髪を刈り上げたスタイルで、「パンキッシュな東洋人が出てきたぞ!」とおもしろがってもらえて、いろんな誌面で使っていただけました。でもそれも2〜3年すると飽きられてしまって。年齢を重ねれば重ねるほど、新しい子がどんどん入ってくる競争率が激しい世界で、自分はどうやって生き残っていこうかと考えた結果でした。
── 体の不調はありませんでしたか。
マヤさん:貧血と生理不順になりました。たまにくる生理は、まるで槍を持った悪魔がお腹を掻き回しているのではと思うくらいの痛みに襲われて、家でのたうちまわっていました。あまりにつらそうな私の様子を見たダーリンが救急車を呼ぼうとしたくらいです。やせすぎて顔はこけているし、吹き出もので肌荒れがひどくて。仕事の際はメイクで隠して、いざステージに立ってライトを浴びたら「私は世界一かっこいい林マヤなのよ!」と思ってポーズを決めて頑張るのですが、仕事が終わるとまるで廃人のようでした。
それに、体重が減っていくにつれ、精神もとがっていってしまうんです。うまくいかないことがあったらすべて人のせいにしたり、周りが敵に見えてしまったり。ダーリンともささいなことをきっかけにしたケンカが尽きませんでした。
── 体型が性格に現れるという話は聞いたことがあります。
マヤさん:本当にそれ、あると思います。体重とメンタルって、連動しているんだなって。今考えたら当たり前なのですが、そんな生活を続けていたので、ついに倒れてしまったんです。仕事に向かうために電車に乗って降りたら、目の前にいろんな色の玉のようなものが浮かんできて。その玉がぐるぐる回ったと思ったらホームで倒れてしまいました。そのまま救急車で病院に運ばれました。
── 病院ではなんと言われたのですか。
マヤさん:「栄養失調です」と言われました。私は、とにかく医者嫌いで、それまで病院にも行っていなかったんです。病院で、自分の顔を鏡で見たらあまりにやせていて、まるでムンクの叫びのようでした。先生からは「何も食べてないでしょう。歩けているのが不思議なくらい。このままほうっておいたら死んじゃうよ。しっかり栄養をとって1日1切れでもいいからお肉などのタンパク質を摂るように」と言われました。