「帰宅していたら命はなかった」それでも辞めたくない娘に父は

 ── それほどまでの大ケガをしている状況で、そんなに冷静にいられたんですか?

 

富松さん:これまでも胸の手術を3回経験しているので、ある意味慣れていたというのはあったと思います。手術は無事成功しましたが、家族は医師に「家に帰っていたら命はなかった」と言われていたそうです。

 

手術後はとにかく痛みがすさまじかったです。数時間おきにしか痛みどめは打てないのですが、痛すぎてその許容量を超えるほど打ってもらった記憶があります。それなのに、ケガをした試合の日には大好きなXJAPANが東京ドームで行うチケットの購入権利が当選していたんですよ。久しぶりのライブだったので、どうしても観たくて、入院している病院内のコンビニで点滴をしながらチケットを発券した思い出があります(笑)。

 

── 家族は、格闘技を続けることに反対はされなかったですか?

 

富松さん:母は「辞めてほしい」と言っていました。でも父は活動をあと押ししてくれて。父は昔、ギタリストとして音楽活動のためにアメリカに行こうと思っていたそうです。でも、母が「ギターをとるのか、私をとるのか」と迫って、ギターを諦めて母と結婚しました。そのときの後悔が今でも少し残っているようで。だから父は私に「明日死んでしまうかもしれないし、後悔がないようにおまえの好きなことをやれ」と言ってくれた。父のことは尊敬していますね。

 

富松恵美
プロのギタリストの妹が試合前に演奏でエールを

── 家族の支えがあって、格闘技を続けているのですね。

 

富松さん:そうですね。母も心配はしていたと思うのですが、応援してくれています。ギタリストの妹も、私の試合のときに演奏をしてくれて。「負けるんじゃないぞ」って気合を入れられました。でも母だけは今でも「もう歳なんだから、早く辞めたら?」って言ってきますけどね(笑)。

 

 

3度にわたる胸の腫瘍の手術にも負けず、格闘家として再デビューを果たした富松さん。腸管破裂の大ケガを経てなお現役を続けられているのは、同じく格闘家で介護士でもある夫のおかげだそう。公私ともに支えられる存在がモチベーションとなり、43歳になった今も試合に立ち続けています。

 

取材・文/池守りぜね 写真提供/富松恵美