プロレスデビューも3回の手術で引退を余儀なくされ
── つらい寮生活を乗り越えて、2001年にデビューされました。
富松さん:2001年4月に入門して、7月にデビューしました。最初のころ、母が観に来てくる予定の試合前に、先輩から「お母さんはどのへんに座ってるの? 」って聞かれたんです。場所を伝えたら、試合中にリング外の母がいる場所の近くに連れていかれ、目の前でパイプ椅子で殴られて。きっと親の前で殴られるのを見せたかったんでしょうね…。先輩なりのデビュー祝いだったんだと思います(笑)。
── 手荒い歓迎ですね…。そんなデビュー直後から今度は病気に苦しめられたそうですね。2002年11月の試合を最後に現役続行を断念、2003年4月にプロレスを引退されたと聞いています。
富松さん:デビューした年に胸に腫瘍が見つかって、検査を受けたら葉状腫瘍という症状でした。まだ20代だったので年齢的にはがんではないという診断だったけれど、細胞をとらないとわからないと。良性でも腫瘍をすべて取り切らないとまた大きくなる可能性があると言われ、手術で乳腺も取ることになりました。10時間近い大手術だったので、親はかなり心配だったようです。私のほうは、全身麻酔だったので目覚めたら終わっていたという感じでした。
乳腺をとってしまうと、胸がぺちゃんこになってしまうんです。年配の女性だとお腹の肉を移植することができるのですが、私の場合はまだ若かったので、お腹を切ることには抵抗があって。そこで左の広背筋をはがして胸に移植することになりました。その後遺症で、いまでも背筋のトレーニングをすると、胸がびくびくすることがあります。
── 大変な手術を経験したのですね。経過はいかがですか。
富松さん:再発はしていないです。ただ、背中の広背筋を左だけ剥がしているので、右側と感覚が違います。あとは座っているだけで疲れることも。でも、当時は早期発見できたので治療法があってよかったと前向きにとらえていました。
── 手術を経て、2005年の夏ごろには格闘技のジムに通い始めたとか。
富松さん:体力が戻ったタイミングで、柔術を扱うジムに入りました。手術後しばらくは、身体が思うように動かなくて。プロレスをやっていてアスリートみたいな気持ちはあるのに、身体がぜんぜんついていかない。ぜい肉もついてきて、危機感がありました。広背筋を剥がしているため受け身が取れなくなり、プロレスの継続は難しかったのですが、やっぱり格闘技が好きで。何か続けられないかと考えて思いついたのが柔術だったんです。本当は総合格闘技がやりたい気持ちもあったのですが。
── もう一度格闘技を始めたときは、家族からは心配されませんでしたか?
富松さん:もう大人だったので、何も言われなかったですね。そのときは、高校時代から仲がよかった友達と一緒に見学に行って入会したので、家族には習いごとのひとつと思われていたかもしれません。