それでも「親になること」を諦めたくなかった
── 結婚後の生活について、旦那さんとはどのように話し合っていたのですか?
小澤さん:「この先どんな生活になるのか」とか「子どもを持つかどうか」については、あまり話さなかったと思います。特に子どもについては、お互いに「無理だろう」と考えていて…。夫からも「俺は君のことを助けるので精一杯だから、子どもが産まれても育児に手が回らないと思う」と言っていたことがありました。私自身、「しょうがない。2人の人生を楽しく歩んでいこう」と考えていました。当時の私は、仕事以外にも歌手活動や講演活動で忙しく、子どもに意識を向ける余裕がなかったようにも感じています。
しかし、コロナ禍に入って生活が一変。仕事は在宅勤務が増え、以前よりも夫と対話の時間が持てるようになりました。ある日、夫と話していて「何か人生で諦めていることはないだろうか」という話題になりました。
考えた末、「子どものいる人生を考えてみたい」という結論に至ったんです。そのころには、夫も「大変かもしれないけれど、子どもは諦めたくないね」という考えになっていました。
── 当時、出産や育児に対して不安を感じていたことがあれば教えてください。
小澤さん:「ちゃんと産めるのかな」という出産までの道のりへの不安とともに、「病気が子どもに遺伝するのでは」という不安もありました。そのため、妊活を始める前に、病院の先生に「遺伝の確率」を聞きにいきました。すると、先生は「1%以下」と回答。「どんな子でも産み育てよう」と夫とは話していましたが、先生からの言葉もあと押しとなって、「子どもを持とう」という考えが固まりました。その後、妊娠がわかったときは、とてもうれしかったです。
── 妊娠中の生活で、大変だったことはありましたか?
小澤さん:お腹が大きくなるにつれて、体の重みを支えることができなくなり、トイレに行くことやお風呂に入ることも、夫の介助なしにはできなくなってしまって…。「できること」が減っていくことにショックを受けましたし、夫への「申し訳ない気持ち」も募っていきました。
それでも、出産して初めて赤ちゃんと対面したときには、うれしくて感動!自分の子どもに会える日が来るなんて、病気がわかってからは考えてもいなかったので、元気に産まれてきてくれてよかったなと感じています。