筋力が低下していく難病「筋ジストロフィー」とともに生きる小澤綾子さん。病名を告げられたとき、「結婚や出産はできないだろう」と考えたと話します。しかし現在は、家庭を持ち、40歳で出産。1児の母として育児に奮闘しています。(全3回中の3回)

義母からの言葉に結婚を決意

小澤綾子
40歳で第1子を出産

── 筋力が低下する難病を抱えつつ、IT企業で働く小澤さん。「結婚は諦めていた」とのことでしたが、その後、人生のパートナーと会社内で知り合ったそうですね。

 

小澤さん:病気が判明してから、「私は結婚はできないだろう」と諦めていました。症状も進行していきますし、車いすでの生活や寝たきりの生活になってしまうと知っていたため、一緒に生活する相手に迷惑をかけてしまうと考えていたからです。

 

夫とは、入社後に同じ部署に配属されたときに初めて対面しました。私は大学時代に文系の科目を学んでいたため、ITの知識がなく、ひとつ年上の夫によくサポートしてもらっていました。夫は「心のバリアがまったくない人」という印象。社内には、耳が聞こえない人や、車いすなどの障がいのある人と距離をとろうとする人もいましたが、夫は分け隔てなく、誰とでも仲よくなれる人だったんです。そんな夫に惹かれていき、私から「おつき合いしたい」と伝えて、つき合うことになりました。

 

── おつき合いが始まってからも、結婚は考えていなかったのでしょうか。

 

小澤さん:そうですね。夫とつき合っているときも、これ以上関係が発展することは考えていませんでした。ところが、私が30歳になるときに夫のほうから「結婚しましょう」とプロポーズしてくれたんです。 

 

でも、うれしさよりも不安が勝ってしまい、その申し出に、すぐに返答することができず…。私との生活で迷惑をかけてしまうのではないか、この人を幸せにできるのだろうかなど、たくさんの不安が頭をよぎりました。

 

── 小澤さんの様子に、パートナーはどのような反応でしたか?

 

小澤さん:考え込んでしまった私を見て、夫は「返事はないの?」と屈託のない笑みで聞いてくれました。その笑顔を見たとき、「ああ、この人は私のすべてを受け入れてくれているんだ」と感じました。それでもまだ「夫の両親が結婚を許してくれないかもしれない」と心配で…。

 

夫の両親と会って食事をしながら結婚の意思を伝えたのですが、反対されることはなく、すんなりと受け入れてもらった印象でした。私の病気についても、いっさい話題にあがることはなく…。帰り際、私から夫のお母さんに「こんな私ですみません」と伝えると、「気にしなくていいのよ、息子にだってできないことがたくさんあるんだから。それを支え合うのが夫婦なのよ」と言ってくれて。その言葉に安心して結婚の意思を固めることができました。私の両親も「いい人が見つかってよかったね」と、とても喜んでくれました。