失踪中にバッタリ先輩に出くわして

梶原雄太
失踪から3年後の2007年に結婚。2020年に三女が産まれた

── 失踪した日のことは、覚えていらっしゃいますか?

 

梶原さん:あまりよく覚えておらず、断片的な記憶しかないんです。気づいたら大阪のカラオケボックスにひとりでいて、「おかんだけには連絡しないと」と携帯の電源を入れた瞬間、着信がありました。相手はFUJIWARAの藤本さん。「どこにおんねん。とりあえずウチ来い」と言ってくれて。でも僕は、家に着くなり「まずは部屋を確認させてください」と隠しカメラや盗聴器がないか隅々まで確認してしまいました。

 

── 藤本さんの親切心すら「テレビのドッキリじゃないか」と疑心暗鬼になるほど追い詰められていたのですね。

 

梶原さん:今思えば失礼な話ですが、当時は誰も信用できなくなっていたんでしょうね。でも、藤本さんは何も言わず「生きててよかった。とりあえず休め」とだけ。帰り際に「またすぐ会おうな」と声をかけてくれたけれど、僕の心のなかでは「さようなら、どうかお元気で」と別れを告げていました。もう帰る場所はないと思っていたんです。人と会うことが怖くなり、事務所はおろか、相方にすら連絡をしていませんでした。

 

ひとりになると「お前はダメなやつだ」と責める声が聞こえてくる。さすがにまずいと思い、病院に行ったら「心身症」と診断されました。ストレスや過労などで心と体の両方に不調が表れる状態で、僕の場合は記憶障害、対人恐怖症、自虐傾向といった症状が一気に出ていたそうです。

 

── 大変つらい状態でいらしたのですね。その後はどんなふうに過ごしていたのでしょうか?

 

梶原さん:唯一、親友だけには連絡を取って、たまに会ったり、病院に通ったり。気分転換にバイクの免許を取ろうとふと思い立ち、教習所にも通いました。そこで、吉本の先輩・元ババリアの三浪さんとばったり出くわしてしまって。挙動不審になっていた僕に「誰にも言わへん、口は堅いから」と気をつかってくれ、それから一緒に遊ぶようになりました。父親くらい年の離れた教習所の先生とも仲よくなって、ボウリングに行ったときに「すごいやん!才能あるで」と言われたことがすごくうれしくて。プロボウラーを目指そうかと本気で考えていたんです。

 

そんなとき、母親からの電話で「西野くんが待ってるよ」と。てっきり別の相方を見つけていると思っていました。許してもらえるはずがないだろう、と。でも「とにかく謝ろう」と決意し、会いに行ったんです。

 

── 久々の再会で、西野さんはどんな反応を?

 

梶原さん:当然怒っているだろうと思っていましたが、西野は僕を責めるでもなく「なんやお前、バイクの免許取って、プロボウラー目指してるらしいな」と笑っていて。どうやら三浪さんがみんなにしゃべっていたらしいんです(笑)。きっとそれは、僕が戻りやすいように気を回してくれたのでしょう。

 

その後、トータルで2か月半の休業期間を経て、仕事を再開しました。復帰初日の漫才では、いきなり本番で頭が真っ白になって。でも西野がとっさにインタビュー形式に切り替えてくれ、なんとか笑いになりました。たぶん、彼の中では、いろいろとシミュレーションしていたのでしょうね。楽屋でも僕をとがめるでもなく「まあまあウケてたな」と涼しい顔で。「本当にすごいやつやな」と思いましたね。