テレビ番組『はねるのトびら』で大ブレイクを果たしたキングコングの梶原雄太さん。しかし、過密なスケジュールやプレッシャーに押し潰され、携帯と財布だけを持ち、失踪した過去があります。(全4回中の2回)

「結果を出さなくては」プレッシャーがのしかかり

梶原雄太
2007年に結婚した妻・未来子さんの誕生日を祝う梶原さん

── お笑いコンビ「キングコング」として活躍されていた2003年、梶原さんは心身症を患い、3日間行方知れずになっていたそうですね。当時は『はねるのトびら』(フジテレビ系)で大ブレイク中。過密なスケジュールのなか、相当なプレッシャーに押しつぶされかけていたと、後に明かされています。あらためて、そのころのことをうかがってもよろしいでしょうか。

 

梶原さん:当時は異常なほど忙しく、本当にいっぱいいっぱいの状態でした。ありがたいことに僕らは、デビュー直後からいろんなチャンスをいただいたのですが、20代になりたての若造が、引き出しを持たず、最前線で戦うことになったわけです。でも、周りを見渡すと、すごい武器を持った猛者ばかり。僕らは華やかな衣装を着ていても、中身が伴っていなかった。丸腰で戦場に出るような感覚が、ずっとありました。

 

── 外から見れば、順調にスター街道を歩んでいるように見えましたが…。下積み経験なくブレイクした芸人さんが直面する宿命のようなものかもしれません。

 

梶原さん:通常なら下積みの間に自分の武器や強みを身につけてから戦いの舞台に出ていくわけですが、僕らはそうした準備ができていなかったんです。芸人同士の関係性もひとつの武器ですが、それすらなかった。周りからは「なんやこいつら、実力もないのに会社にプッシュされて」と冷ややかな目で見られていましたから。

 

── 当時は、まだ働き方改革という言葉もない時代。とくにテレビの世界では、長時間の撮影や収録が続くことも珍しくありませんでした。

 

梶原さん:『はねトび』の現場は本当に熱量が高く、みんながクオリティを高めようと毎回、一生懸命に取り組んでいました。毎週「36時間ぶっ通し」で打ち合わせやリハーサルもしていて。金曜昼12時にスタジオ入りして、打ち合わせやリハーサルが終わるのが朝6時、土曜24時まで収録でした。さらに朝まで反省会なんてこともしょっちゅう。そのまま始発で大阪に戻って劇場、テレビの生放送、番組のロケ、ラジオのレギュラー…まとまった睡眠時間は、新幹線の移動時間だけ。肉体的にも精神的にも限界でしたが、「結果を出さなくては」というプレッシャーがのしかかって。

 

気づいたときには、携帯と財布だけを持ってすべての仕事を放り出し、逃げ出していました。