43歳で不妊治療を始めるも

── ファッションショーに出ていかがでしたか?

 

梅津さん:「ありのままの自分でもいいんだな」と思いました。

 

27歳で病気を発症してから約10年経っていましたが、車いすに乗った姿を人に見られたくなかったし、障がい者になった自分を完全には受け入れられていなかったと思うんです。たとえば、写真を撮ることになっても、短い時間ながら頑張って立てたので、できるだけ健常者に見えるように撮影してもらっていました。

 

でも、ファッションショーのイベントに出てみたら予想以上に楽しくて。人前に出て注目されることもうれしく感じたし、何より自分に自信が持てたんです。その後も、「co-co Life」のイベントに参加したところ、同じように障がいを持った友達もできました。お互いの悩みを打ち明けながら、はじめて身内以外で身近に相談できる相手ができたことは心強かったですね。

 

障がいを持った人たちと繋がっていくうちに、障がいを持った女性が安心して集える場所があるといいなと思って、コミュニティもつくりました。また、そのコミュニティのなかから「ビヨンドガールズ」というユニットを結成。ビヨンドガールズは、車いすのイメージにとらわれず、自分の可能性に挑戦しようと思ってつくったユニットです。イベントで歌やダンスの披露をしたり、病気に関するお話をしたりと、SNSでも発信していきました。

 

梅津絵里
42歳のときに「ビヨンドガールズ」としてステージに(左が梅津さん)

── とても素敵な活動ですね。どれくらいその活動は続けられたのでしょうか?

 

梅津さん:7、8年くらいでしょうか。活動自体はとても充実していましたが、2019年、私が43歳のときにビヨンドガールズの活動を少しずつセーブしたんです。理由はふたつあって、ひとつは、ずっと子どもが欲しかったので、不妊治療に専念しようと思ったこと。もうひとつは、以前から抱えていた脊柱管狭窄症が悪化してしまい、腰の痛みが激しくなったので、しばらく体を休ませようと思ったことです。

 

不妊治療に関しては、私が子育てをするのは大変なことはわかっていましたが、どうしても母親になりたくて。妊娠・出産をするには年齢的にギリギリだったのですが、諦めたくなかったんです。旦那さんは私の体を心配して子どもを持つことに積極的ではなかったのですが、夫婦でたくさん話し合った結果、不妊治療をすることを決めました。

 

── ただ、そう決意した矢先に状況が変わったそうですね。

 

梅津さん:腰に痛みが悪化し、手術をしたんです。当初は4月に手術する予定でしたが、コロナ禍に入って手術が延期になり、その間に急速に痛みが悪化したため、7月に緊急手術をすることになりました。

 

手術は無事に成功しましたが、今度はSLE(全身性エリテマトーデス)が再燃し、1年半入院することに。その間、意識が朦朧とする時期があったり、てんかんの発作を起こしたり、脊柱管狭窄症の手術も5回しながら、21年11月に退院しました。当初は、脊柱管狭窄症の治療と不妊治療を同時に進める予定でしたが、腰の痛みやSLEが再燃してしまったため、自分の体の状態を考えて子どもは諦めることにしました。