合併症を発症「旦那さんも認識できていたか」

── 1か月半の入院を経て日常生活は車椅子を使わずに歩ける状態で退院。しかし、身体が完全に回復したわけではなかったので、退院後は1年間の療養生活を送ることになりました。自宅ではどのように過ごしましたか?

 

梅津さん:家事をしながらゆっくり過ごしていましたが、もともと根がアクティブな性格なので、家の中でじっとしている生活にだんだん耐えきれなくなっていったんです。SLEは日焼けによって症状が悪化することがありますが、少しくらいは体を動かしたほうがいいだろうと自分で思い、くもりの日にときどき海に行ってサーフィンをすることがありました。

 

また、自分ができる範囲で仕事もしたくて、ハローワークで資格取得を目指すビジネススクールの講義に通って、社会復帰を考えていたんです。ハローワークの講義は朝9時から夕方4時まであって、家に帰ると家事をする日々。

 

その後、秘書検定を受けることになりましたが、試験当日、ちょうど私の28歳の誕生日の日に40度の熱が出てしまい、試験が受けられなかったんです。そこから数日熱が下がらず。医者に診てもらおうと病院を訪れましたが、担当の先生が不在だったため、簡単な検査だけして帰ることになりました。その後も熱が下がらなかったので、再度診てもらおうと病院に行ったところ、病院のソファーに倒れ込んでしまい、そのまま動けなくなりました。

 

── SLEが悪化したのでしょうか?

 

梅津さん:SLEが重症化したときに合併する、中枢神経ループスを起こしていました。そこから体の状態が一気にレベルダウンしてしまい、寝たきりに。大学病院に1年間入院しましたが、最初の半年は意識がずっと朦朧としていたし、目を開けても声を出すことが難しく、母親が作ってくれた文字盤で会話をしていました。旦那さんは毎日病院に来てくれたようですが、当時は旦那さんと認識できていたのか正直微妙です。この期間の記憶はほとんどありません。

 

入院から半年経ったころから意識が徐々にクリアになって、会話できるようになりましたが、知らない間に自分の誕生日が過ぎて、年も越していて、テレビの番組も変わっていて…浦島太郎のような気持ちでした。

 

また、意識が鮮明になったことで内省する時間が増えていき、「このまま一生寝たきりなのか」と落ち込んだし、「サーフィンをしていた幸せな日々はもう2度と戻ってこないんだ」と思うとつらかったですね。いっぽうで「リハビリを頑張ればなんとかなるんじゃないか」と希望を持ってもいたので、気持ちが上がったり下がったりしていたと思います。

 

── 大学病院に1年間入院したのち、リハビリ病院に転院してさらに5年間入院しました。転院したときはベッドで寝たきりの状態に近く、声が出しにくい、嚥下(飲み込み)も難しいといった状態だったとのこと。その後もリハビリをする日々が続きますが、旦那さんは変わらずお見舞いに来ていたそうですね。

 

梅津さん:旦那さんは私がリハビリ病院に転院することが決まると、家から病院まで遠くなったので、家を引っ越しして、病院の近くに家を借りてくれました。仕事をしていたので、面会時間の終了15分前でしたが、毎日駆けつけてくれました。顔を見るだけで安心できたし、本当に励みになりましたね。