泣きながら訴える私に、旦那さんが伝えた言葉は

── 大学病院に1年、リハビリ病院に5年、トータルで6年に及ぶ入院生活を過ごしましたが、入院生活はどう自分と向き合いましたか?
梅津さん:リハビリをして少しずつでも体がよくなったと感じる瞬間はうれしかったし、医療従事者の方々も親切にしてくださったと思います。仲よくなった方とは身体の話だけではなく、趣味や恋愛の話もすることもあって、リラックスできました。
いっぽうで子どもに話しかけるような感じで接してくる方もいて、実際オムツもしていたし、自分ひとりではできないことだらけではあったんですけど、ちょっと複雑な気持ちになりました。「絵里」という、自分のアイデンティティがなくなってしまったような気持ちになったことがあります。
── 旦那さんに対してどう思っていましたか?
梅津さん:毎日お見舞いに来てくれてありがたい反面、私のせいで旦那さんにも苦労をかけて申し訳ない気持ちでした。本来であれば今ごろ子育てをしながら、家族で楽しい時間を過ごしていたんじゃないかと思ってしまい、実際、旦那さんに「不良品を渡してしまったみたいで申し訳ない」と泣きながら伝えたことがあります。
── 旦那さんはなんとおっしゃっていましたか?
梅津さん:「健康な人でも幸せとは限らないから別に気にすることないし、俺が絵里を幸せにしたいし、引っ張っていくから安心して」って。旦那さんは自衛官として働いていますが、「私に申し訳ないなんて思ってほしくない。自分は自分で頑張る姿を絵里に見せたいから、仕事で幹部に昇格するための試験も受けて頑張りたい」と言っていました。夫の言葉を聞いて励まされたし、私も前を向いて頑張ろうと思えました。
── その後、2012年、34歳のときに退院して自宅に戻りました。
梅津さん:入院生活がかなり長かったので、とにかく家に帰って日常生活に戻りたいと思っていました。自宅に戻っても困らないように、入院中は車いすでの移動やトイレ動作、簡単な家事ができるようリハビリをしたし、自分でも頑張ったと思います。病気になってつらい日々が続きましたが、常に旦那さんや家族が寄り添ってくれたので、退院するときも心強かったです。
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長期入院を経て、自宅で生活を送れるようになった梅津さんですが、生きがいを見出せない日々が続きます。そんなとき、旦那さんの転勤が決まり、福岡から東京へ移住することに。新たな環境での出会いを通して、同じように障がいを抱え、車いすで生活をする女性と「ビヨンドガールズ」というユニットを結成。ミュージカルやパラダンスにも挑戦しながら毎日を送っているそう。SLE発症から約20年。今は同じように障がいを持っている人たちを幸せにできることは何かを考え、日々たくさんのことにチャレンジしているそうです。
取材・文/松永怜 写真提供/梅津絵里