トルコで4、5日目には「思っていたのと違いました」と
── トルコでは、どんな毎日を過ごしていたんですか?
三瓶さん:専属料理番とはいえ、まずは作業を覚える必要があったので、もともとのシェフから料理を教わって、長友さんに出す食事のレシピを覚える作業からスタートしました。いわゆる「アスリート飯」なので、当然カロリー計算とかも必要なんですよ。レシピと分量なんかも全部メモして。ボールペンでメモしまくってたから、インクがすぐに1本分なくなりました。芸人のとき以上に、真面目にやってましたね。
シェフが不在になるときは、僕がひとりで食事を用意することもあって。長友さんの家の近くに住まわせてもらい、自転車で通っていました。

── そんな日々を過ごしたのち、2か月で帰国されたそうですが…思っていたのと少し違ったんですか?
三瓶さん:少しというか、だいぶ…ですね。まず、言葉が全然通じなかったのが大きかった。トルコ語って、人生で一度も触れたことがない言語だったので、本当に何を言っているかわからなくて。英語も通じないので、毎日、あいさつの言葉と笑顔だけでなんとか乗りきっていました。ちょっとした買い物でさえ、気合い入れて出かける感じで。日本と違って、コンビニもないし、相談相手もいない。日本に電話して「今こういう状況でさ〜」って相談したくなったけど、時差があるからそれも難しかったんです。
── そのうち、だんだんお笑いも恋しくなった…?
三瓶さん:お笑いができなかったことに関して、当時は恋しいとかそういう感覚はなかったかな(笑)。でもたしかに、「劇場の楽屋って、やっぱりおもしろい場所だったんだなぁ」と身に沁みましたね。楽屋って芸人さんがたくさんいて、会話がめちゃくちゃおもしろいんですよ。そういう楽しみはトルコにはなかったので、寂しさはありました。
── 帰国を決意して長友選手に伝えたのは、どんなタイミングだったのですか?
三瓶さん:たしか、トルコに行って4日目か5日目でした。僕はけっこう、思ったことをすぐに言っちゃうタイプで。そのときも、長友さんには「思っていたのと違いました」って、はっきり伝えました。まだシーズン途中だったけど、長友さんはその時点で「次は来ないだろうな」と思っていたと思います。
そのシーズンが終わったのが5月末で、長友さんやご家族が日本に帰国するタイミングで僕も一緒に帰ってきたのですが、その際に「(辞めたいという)気持ちは変わらないです」と伝えました。
── その次のシーズンは、もう帯同しなかったということですね。その一件で、長友選手やご家族との関係性に変化はなかったのでしょうか?
三瓶さん:日本に帰ってきてしばらくは、距離ができた感じはありました。そのあと長友さんはまたトルコに行ったので、物理的に離れていたというのも大きかったと思います。でも、そのあと長友さんたちが日本に戻ってきたタイミングで、自然とまた連絡をとり合うようになりました。
── じゃあ、三瓶さんとしてもちょっとホッとした?
三瓶さん:そうですね。むしろ、長友さんのほうが「自分が誘って、こういう結果になってしまった」と、僕のことを気にかけてくれていたと思います。僕としては、自分が「行きたい」と思って行ったわけですから、それがうまくいかなくても仕方ないし、仮にそのことで疎遠になっても、それはもうしょうがないって思っていました。でも長友さんは、ずっと気をつかってくれて。今ではトルコにいた当時のことを冗談混じりで話せるようになりました。