人生で初めて自分の意思で取り組んだのが「お笑い」だった

── NSCに入ってからは、どんな生活だったんですか?

 

三瓶さん:大変ではあったけど、充実していました。人生で初めて、自分の意思で「ちゃんとやろう」と思って、物事に取り組んだと思います。バイトと両立しながらの生活でしたけど、今振り返ると、あのころがいちばん充実していましたね。

 

ちなみに、養成所時代はまだ「三瓶」という芸名じゃなくて、「ロールスロイス」という名前で活動していたんです。「三瓶です」のリズムで「ロールスロイス」と名乗るという、自己紹介ギャグがあって。ところが、商品名だと何かと問題があると指摘されて、紆余曲折あって「三瓶です」に落ち着きました。

 

三瓶
芸人を始めたころ

── で、その「三瓶です」が大ブレイクするというわけですね。まわりと比べてブレイクは早かったのでは。

 

三瓶さん:そうですね、同期のなかでは1番目か2番目くらいでした。あんまりこういうのは言わないほうがいいのかもしれないけど…当時は「なんか売れるのって簡単だな」って感じていました。何年も苦労して世に出るのが普通だと思っていたら、2年目ぐらいで、ワーッといっちゃったんで。「早いなあ、意外とすんなりいっちゃうんだなぁ」って拍子抜けしたというか。

 

── ブレイクの起爆剤が、何かあったのですか?

 

三瓶さん:おすぎさんとピーコさんが司会をされていた深夜番組『BACK-UP!』に出させてもらえるようになって。その番組の制作スタッフと『笑っていいとも!』の制作スタッフが一緒だったんです。それで、ピーコさんがいいともに出演されたときに、リハーサルでたまたま僕のVTRをタモリさんに見せてくれたらしくて。なぜかタモリさんがハマってくださって、放送中に僕のマネをしてくれたんです。それでスタッフさんの間で「三瓶を呼ぼう」となったみたいで。そこからガーっとブレイクした感じです。

 

── しばらくは、忙しい日々だったんですね。

 

三瓶さん:とはいえ、「ポッと出」だったんで、今活躍している方々みたいな忙しさではなかったと思います。「ものすごく忙しくて大変」って感覚もあまりなかったし。今の売れてる方たちがものすごい数の仕事をこなしているのを見ていると、本当にすごいなぁと思って。それに比べたら、当時の僕はそこまでではなかった気がします。