ブレイク後も「長続きしないだろうな」と冷めていた
── ブレイクが落ち着いてからの芸人生活はどんな感じでしたか?
三瓶さん:ずっと「そんなに長続きしないだろうな」って感覚があって。すごく冷めてたのを覚えてます。昔からそういう性格で、調子にのったりしないんです。もともとムダづかいをしないタイプで、売れたあとも地味な生活をしていたので、そこまで焦りはなかったですし。ただ、事務所に行ったときに「社員さんが目を合わせてくれなくなったな…」と感じたことはありましたが(笑)。
── 露出が減って生活が苦しくなることもなく?
三瓶さん:生活に困ることは、あんまりなかったですね。先輩の奥さんのお店でアルバイトしたことはありましたけど。生活のためにバイトをしたくはなかったんで、ムダ金を使わないように暮らしていました。
ルミネの劇場に出られればそれでいい
── テレビに出る機会が減ってから、お笑いへの気持ちに変化はありましたか?
三瓶さん:お笑いに関してめちゃくちゃストイックというわけではないんですが、「ルミネの劇場に出られていればそれでいい」という思いだけは、ずっとありましたね。集団コントとか、新喜劇みたいなことをやりたくてこの世界に入ったので、それをまだ今もやれているだけで幸せだし、満足なんです。「こういう笑いがやりたい」という強いこだわりがあるというより、とにかく舞台に立ちたかった。芸人になったばかりのころ、ネタを頑張ってやっていたのも、新喜劇をやるためでした。
── そこまで三瓶さんを魅了する新喜劇の魅力って、どんなところなんでしょう。
三瓶さん:よしもと新喜劇って50分ぐらいで、舞台としては短めなんですけど、そのなかにちゃんとわかりやすい笑いがあって、観てる側がめっちゃ楽しめる。僕は長い話が好きじゃないんで、新喜劇のそこがいいなって思うんですよね。
── これから挑戦してみたい仕事はありますか?
三瓶さん:僕、昔から他力本願で、「これがしたい!」っていうのはあんまりなくて。自分発信より、言われたことを忠実にやりたいタイプなんです。そう考えると、やっぱりずっとお笑いの舞台にこだわって続けていけてるのは幸せなことだと思います。のほほんと見られがちですが、舞台ではちゃんと頭を使ってるんですよ(笑)。
20歳過ぎからこの仕事をしてて、他の人生とは比較はできませんが、将来、だいぶ年をとって振り返ったときに、自分なりに「楽しい人生だったな…」「おもしろい人生だったな…」と思える生き方をしようと思うようになっていると、今は思います。
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「三瓶です」のギャグでブレイクするも、その後は露出が減っていった三瓶さん。そんなとき「トルコに専属料理番として帯同してくれないか」と声をかけたのが、サッカー日本代表の長友佑都選手でした。二つ返事でトルコにおもむくも、異国の地での暮らしに慣れられず、わずか2か月で帰国することになります。しかし自分の意思で挑戦をした結果については「いい経験になった」と納得しているそう。長友さんとも、今では当時のことを冗談まじりに話せるようになっているそうです。
取材・文/松崎愛香 写真提供/三瓶