「ごめんな」と何度も言う父に

渋谷真子
茅葺き職人になるために修行していたころ

── 下半身が動かなくなるということは、いつ知ったのですか。


 
渋谷さん:
手術に入る前に主治医が来てくださって、「何か聞きたいことはありますか」と言われたので、「だいたいの状況は把握しているので、何でも全部話してください」と言って、手術室に入りました。8番目の背骨が折れていて、背中にボルトを入れる手術に7時間くらいかかったそうです。手術後半日はICUにいて、病室に入った日の夜、主治医の先生から説明を受けました。「脊髄を損傷していて、下半身が麻痺して動きません。歩けないので車いす生活になるかもしれません。歩けるようになった人もいるので、リハビリをして、様子を見ていきましょう」ということでした。


 
── どんなお気持ちでしたか。


 
渋谷さん:
「ああ、そうなんだ」という感じでした。「歩けないんだ!悲しい!」というよりも、「どういう症状で、どういう回復が見込めるのか」「車いすになったら、どういう生活を送れるのか」「今後どうやって生きていけるんだろう」ということのほうが気になりました。先生にもたくさん質問をしましたし、自分でもスマホでいろいろ調べました。


 
私より、父と母のほうが悲しんでいましたね。父は、自分のせいだと責任を感じて、何度も「ごめんな、ごめんな」と謝っていました。たしかに安全対策が万全だったとはいえない状況だったので、私も落ちたときから「お父さんは自分を責めるだろうな」と思っていました。母も「お父さんのせい」と言っていましたし…。


 
私は「お父さんのせいじゃないよ」と言い続けてはいたんですけど、どう受け止めるかは本人次第なので、父はすごくつらかったと思います。


 
── 今、楽しく暮らしている渋谷さんの姿を見て、ご両親は安心されているのでは。


 
渋谷さん:
そうですね。私が悲しんだら父はもっと悲しんじゃうから、「私は気にしていないんだから、気にしなくていいじゃん」というスタンスを貫いています。言葉で伝えるだけではなくて、つらいと思う時間を楽しい時間で埋めてあげられるように、車いすで楽しいことをいろいろ体験して、「こんなこともやったよ」と伝えられたらいいなと思っています。

 

事故のあと、私がYouTubeを始めたときは、母は心配していました。父は自営業の茅葺き職人ですが、母はずっと会社に勤めているので、「安定した会社や役所で働いたほうがいいんじゃない」と言っていました。でも、私がいまYouTuberとして生活していけているのを見て、今は安心しているみたいです。基本的には「好きなことをすればいい」と放任してくれる両親なので、ありがたいですね。

 

 

 
26歳で下半身まひとなり、車いすでの生活となった渋谷さん。車いすでのリアルな日常や、旅行やレジャーなどの体験を発信するYouTubeチャンネルは登録者数が12万人以上。同じ境遇の人だけでなく、多くの人からの共感を呼んでいます。なかでも排泄や性についての投稿には大きな反響があり、当事者がみずから発信する意義を感じたそうです。


取材・文/林優子 写真提供/渋谷真子