「うざい」「キモい」しか言わない娘に「弁当だけは」
── その後、おふたりの仲がギクシャクするようになったそうですね。
安武さん:中学を卒業するくらいから高校2年ごろまでは本格的な反抗期でした。2〜3年間は「うざい」「キモい」しか言わなくなって。急に言い出したから、最初はびっくりして「今なんて言った!?」って叱ったりもしましたけど。
娘が小学生のころは肉体的に大変で、いつも疲れ果てていました。僕は子ども会の世話役やPTA専門部の部長をやったり、勤めていた新聞社でも代役の効かない仕事を任されていたんです。当時のことをよく思い出せないほど、必死で走り続けていました。でも、メンタル面は、中学卒業前からの反抗期のころのほうがしんどかった。親子の会話がほとんどなかったあのころには、もう戻りたくないです。
そんな時期の父の日に、普段は口も利いてくれない娘が靴下をプレゼントしてくれたんです。自分のこづかいでね。手紙が添えられていたんですが、「靴下に穴があいてる。買わなきゃ」みたいな僕の独り言を聞いていたようで、そのことが書いてありました。それともうひとつ、「最近は、すぐカチンときて、パパとしゃべらないこととかあるけど、いつも、いつも、感謝しています。もう少し、はなの心が大人になるまで我慢してね」って書いてあって。びっくりしましたね。面と向かっては言えなくても、手紙ではそういうこと書けるんですよね。子どもたちって。
「子どもたち」ってあえて言いますけど、みんなそうだと思うんですよ。僕はその一文にすごく助けられて。子育てで経験したことがない壁にぶつかって、どう対応していいかもわからなかった時期だったんですけど、手紙を読んで「そうか、待てばいいんだ」って腑に落ちて。信じて待つしかない。きっと昔のような関係性を取り戻すことができるって信じて待ちました。そう信じて待ちながら、弁当だけは毎日作っていました。毎回、きれいに食べてくれていたのが救いでしたね。

── お弁当には、どんなおかずを?
安武さん:娘が好きな甘い卵焼きは必ず入れていました。あとは、大好物だった赤じそのふりかけもご飯にかけて。おかずは、常備菜のほか、冷凍食品や前日のおかずの残りを詰めることもありました。
娘は、僕が弁当を作る姿を見てくれていたからか、社会人1年生になった今、毎朝弁当を作って通勤しています。「してほしいことをして見せる」。これが、僕たち夫婦の子育ての原点です。娘の弁当作りを続けてきて本当によかったと、しみじみ思います。