中学1年の娘の心に届いた、亡き母の言葉
── そういう気持ちを抱きつつ、安武さんと娘のはなさんふたりの生活が続いていったのですね。

安武さん:中学1年のとき、娘が「もしママが私を産んでいなかったら、ママは生きていたかもしれんよね」って、突然言い出したんです。そのころの娘は、妻の病気と死の関係を少しずつ理解できるようになっていたのかな。『はなちゃんのみそ汁』の本も読んでいたみたいだし、映画も観ていたし。
僕は、「この子には、生まれてきたことを肯定できる人になってほしい」と思っていました。そう思える子になるように育ててきたつもりだったから、「こんなときが来たんだな」と少し驚きつつ、妻のブログの一節を思い出して娘に読ませました。妻がブログに残してくれて本当によかったと思いました。妻の生の声ですからね。「ママがこんなこと言ってたよ」って僕が言うよりも、本人がこう書いているのを読ませるほうが娘の心に響くんじゃないかと思ったんです。
ムスメは、今や、最大で最強の私のサポーター。
あそこで諦めていたら、ムスメには出会えなかったのだ。
ムスメがいなかったら、正直、ここまでも、これからも、頑張っていけたかどうか、わからない。
ムスメに出会えたことは、私がこの世にいたという証だ。
自分より大事な存在に出逢えたことは、私の人生の宝。
サポーターの力は最強。
私の人生の目的は、これだったのかな。
<中略>
ムスメと出会えたことに、あらためて感謝しつつ。
最大で最強のサポーターちゃん、ありがとう。
この世でしっかりあなたの幸せを見せてもらうからね!
(千恵さんのブログ「母のナミダ」(2008.05.13)より一部抜粋)※千恵さんのブログは、現在、信吾さんのブログ『はなちゃんのみそ汁 official Blog by Ameba』からも閲覧できます。
安武さん:娘がこのブログを読んだのは、中1の夏休み最終日でした。当時は、本や映画、ドラマの影響で「はなちゃん」って多くの人たちから温かく声をかけられていました。ただ、いいことばかりではありませんでした。メディアへの露出が多かったせいか、「調子にのっている」といじめにあったりして。思春期で、周囲も多感ですからね。妻も「自分の母親が乳がんだったことを、悩み苦しむ時期がくるかもしれない」というようなことをブログに書いていて。だから、この言葉を残したのかもしれません。
ここでこのブログの一節をセレクトできた自分は、我ながらすごいなと。思春期とはいえ、このころの親子関係はまだギリギリ大丈夫だったんです。中学で自分の居場所がなかった娘は「パパを味方にしないと」って思っていたようでした。