ドラマと映画にもなった『はなちゃんのみそ汁』は、25歳で乳がんになり、闘病しながら愛する娘を命がけで出産した安武千恵さんと娘のはなさん、夫の信吾さんの家族の物語。世の中の人に広く知られることになった結果、一時期は父娘の距離が遠のいたこともあったといいます。(全3回中の3回)
「新聞記者のあなたが書くべきだ」と説得されて
──『はなちゃんのみそ汁』は、25歳で乳がんを患い闘病を続けていた千恵さんが4歳の娘・はなさんにみそ汁の作り方を教え、千恵さん亡きあとも受け継がれていく様子を、夫である信吾さんが千恵さんのブログを振り返り、1冊の本にまとめられた作品です。出版されたきっかけはなんだったのでしょうか。

安武さん:僕が駆け出しの新聞記者だったころ、ある殺人事件の取材で知り合った週刊誌の男性記者がいました。出会いから14年たったある日のこと。出版部門に異動した彼から「本を書きませんか」と連絡があったのです。妻を亡くしたあとでした。「千恵さんが、幼い娘に何を残そうとしたのか。夫として、父として、安武さんが書きとめておくべきです」。彼は、僕たち家族を紹介した朝日新聞の記事を読んでいたのです。
そのときはすごく迷いました。もし本を書くなら、妻のブログを読み返さないといけない。そのブログとは、抗がん剤治療を経験した妻が娘を出産、肺に転移したがんを一度克服したのち、再転移がわかったときに書き始めた『早寝早起き玄米生活』です。でも、妻が亡くなって2、3年で、僕自身がまだ現実を受け入れられず、とても過去を振り返ることができるような状態ではなかったんです。それでも、彼は東京から福岡まで何度も訪ねて来て、「娘は母から何を学び、受け継いだのか。それを書けるのは安武さんだけです」と言い続けるんですよ。
結局、彼に根負けしました。そこで、伝える対象をひとりに絞り込みました。娘です。妻が娘をどれだけ愛していたか。どんな思いで産んだのか。それを娘の心の中に深く刻み込みたかったんです。執筆を始めた当時、娘は8歳だったので、大人になったときに、母親との思い出を忘れずにいられるような1冊になればいいなと。それは、妻の生きた証にもなります。
まず、パソコンの前に座って妻のブログを読むことから始めたんですけど、意外と落ち込むことはなくて。まるで妻と対話をしているような、心地いい気分にもなれました。
── 本を書かれるまでに、そんな経緯があったのですね。
安武さん:1冊の本を書くことで、僕自身も気持ちの整理ができたように思います。妻の死をようやく受けとめられたような気がしました。出版後は、ドラマ化、映画化されて、出版社に感想の手紙やメールがたくさん届きました。ほとんどが僕たち家族のことを肯定的にとらえてくださるコメントだったのでうれしかったですね。ただ、何年経っても妻を亡くした悲しみが癒えることはありません。彼女の存在は、僕のなかで大きくなるばかりでした。