カラオケ大会でスカウトされて17歳でデビュー

── 市川さんは17歳で芸能界デビューされたとのことですが、きっかけは何だったのですか?
市川さん:地元・埼玉のカラオケ大会で優勝したときに、プロダクションの社長からスカウトされました。幼いころからテレビ番組で見る歌手のみなさんに影響を受けて憧れていたので、それはうれしかったです。
母が歌謡曲を好きだったので、家のなかでは美空ひばりさんや島倉千代子さんの音楽が常に流れていましたし、私が子どものころは歌番組がたくさんあり、小林幸子さんや坂本冬美さんの歌が好きで、よく歌っていました。そのうち、ちびっ子歌番組やカラオケ大会、NHKのど自慢大会などに出場するようになったんです。
── ご家族も歌手になる夢を応援してくれていたのですか?
市川さん:母は「どんどんいろんな大会に出場していこう!」とノリノリでサポートしてくれました。賞品が出るカラオケ大会を見つけては応募していましたね(笑)。1日2か所のカラオケ大会を掛け持ちしたこともあり、あちこちで賞品の食べ物や食事券、自転車などをもらって、母も兄も喜んでくれていました。
── 市川さん自身、人前に出るのが好きだったのですか?
市川さん:どちらかというと子どものころは引っ込み思案で。集合写真でも後ろのほうで誰かの陰に隠れているような子だったんです。母は「先生の隣にいなさい」と言って前の方へ押し出してくれていました。
それに、母は写真をたくさん撮ってくれたんです。この仕事をしていると幼少期の写真が必要なときも出てくるので、それがすごく役立っています。母は「こういうときが来たら出せるように、写真はとにかくいっぱい残しておきたかったんだよ」と言っていて、母のなかでは「娘が歌手になってくれたらいいな」というビジョンが常にあったんだと感心しちゃいました。
「自分のなかで何かが崩れた」

── 歌手活動10周年を前に、一度歌手をスパッと辞めていらっしゃいますよね。
市川さん:高校生でデビューしてから、積もり積もった重圧が精神的な負担になっていたのか、自分のなかで何かが崩れていく感覚になったんです。当時26歳、同世代の女性歌手がとても多く、比較されることがよくありました。「あの子はどんどん前に出られるのに、なんで由紀乃ちゃんは出ないの?」という声が聞こえてきて、もちろん芸能の世界というのは比較されるものではあるのですが、「私は私なのに」と反発する気持ちがあって…。また、「自分の歌ははたして成長できているのかな。10代のころと変わっていないんじゃないか」という焦りもあり、もっとうまく歌いたい、こんな歌唱力じゃダメだ、と、自分をどんどん追い込んでいってしまったんです。
「こんなふうに悩みながら仕事をしていたら、お客さまに申し訳ない」という気持ちになり、母に「歌手を辞めたい」と伝えたところ「自分の人生だから自分で決めなさい」と受け入れてくれました。
── いったん休むのではなく、辞めるという選択肢だったんですね。
市川さん:はい。もう歌の世界からは距離を置きたかったんです。それでハローワークに行って失業保険をいただいて、アルバイトを探して天ぷら屋さんで働きました。芸能の仕事をしていたことは伏せて働いていたので、周囲の方も気づいていなかったと思います。名乗れるほど歌手として活躍できていないという気持ちもありました。アルバイトは2〜3年続けましたが、若くして歌手になったので履歴書を書くのも初めてでしたし、時給で働くなかでお金のありがたさや、社会がどういうものかをやっとわかった気がします。