「やったー、終わったー!」母が初めて見せた涙

市川由紀乃
ファンの皆様へ、インスタライブで抗がん剤治療終了の報告(2024年12月)

── そこまで腹筋が衰えると、歌を歌うのに不安を感じたのではないですか?

 

市川さん:その不安は大きかったです。咳やくしゃみはもちろん、普通に声を出すのすら痛かったので、はたしてこれで歌えるようになるのかなって。手術の傷痕が痛みますし、笑うと特に痛いので、母親に「おもしろいこと言わないで。笑わせないで」と言うくらいでした。治療中は思うように歌声を出すことができず、終わってから恐る恐るボイストレーニングを始めました。

 

── 闘病中はお母さんがつき添っていらっしゃったのですか?

 

市川さん:はい。母はいたって健康で大きな病気の経験がないんです。なのに娘ががんになるというのはショックだったとは思うんですけど、とにかく母は明るくて前向きな性格なので、それに救われました。抗がん剤投与の間も5時間、椅子を持ってきて近くでずっと見守ってくれました。がんの告知を受けたときや、手術、治療がつらくて私が泣いていても「泣いてたら病気を乗り越えられないよ!」と元気に叱咤激励してくれて。私には障がいを持つ兄がいて、もう亡くなってしまったんですけれど、その兄がずっと坊主頭だったんですね。髪が抜けて薄くなった私の頭をなでながら、兄によく似てきたと言われたりしました。

 

── ずっと近くで支えてくださっていたのですね。

 

市川さん:はい。治療中は私に涙を見せなかった母ですが、最後の抗がん剤治療が終わってから、初めて泣いたのを見ました。「やったー、終わったー!」と言って泣いていて…。治療中は私に心配かけまいと涙を見せなかったんだと思います。あとで母から聞いたのですが、娘が病気になって大変な思いをしたし、たくさんの方々にご迷惑をおかけしているけれど、朝・昼・晩と一緒に食事ができて、親子の時間が持てたのはうれしかったそうなんです。それで明るくいられた一面はあるかもしれません。

 

── 闘病中の励みになったことは何ですか?

 

市川さん:やはりファンのみなさんからのお手紙や激励の言葉です。「神社へ願かけに行きました」と、お守りやお札を送ってくださった方も多くて、すべて病室に持ち込んで手術や治療にのぞみました。先輩方や歌手仲間の方がお見舞いを送ってくださったり、色紙に寄せ書きをしてくださったりしたのもうれしかったです。手紙や色紙は何度も読み返して、そのたびにあったかい気持ちになりました。