「おまえには基本的人権はない」

── お顔のことで周りの子どもたちからひどいことを言われたこともあったそうですね。
河除さん:子どもは純粋といえば純粋というか。思ったことを口にしますよね。保育園に入ってから中学校を卒業するまでは、いじめられてしんどかったです。
保育園や小学校のころは仲間はずれにされたり、「気持ち悪い」と言われたりしました。中学生になると、いじめがもっと狡猾になるというか。笑いながら給食を取り上げられたり、傷つくことを言われたり。授業で「基本的人権」を習ったとき、「お前には基本的人権はない」という言葉をぶつけられたことがあります。言ったほうは仲間内で盛り上がっていて、いじめている自覚はなかったのかもしれません。「おもしろいことを言えた」くらいに思っていたんやと思います。
面と向かって言い返したらもっとエスカレートするとわかっていたので、何も言えなくて。でも相手のことが憎くてしょうがなくて、ノートに相手の名前を書いて「死ね死ね死ね」って。そういうことでしか、自分の気を晴らせなかったです。
── 学校の先生やご両親に相談はされましたか。
河除さん:相談しませんでした。学校の先生が、いじめを把握していたかどうかはわからないです。いじめに言及してくれた先生はわずかで、私も「助けて」と言えなかったですね。面談で「困ったことはないか」と聞かれても、「ないです」と答えていました。
当時、学校では明るいキャラだったんですよ、私。いじめてくるのは男子ばかりで、女子は優しくしてくれたし、友達もいました。友達がいたから、学校に通えていたと思います。でも、今思うと「助けて」と誰かに相談すればよかったです。
家でもいじめられていることは言わなかったので、両親は全然知らなかったです。30歳を過ぎてから私がテレビの取材で話しているのを見て、両親は初めて知ってショックを受けていました。
── ひとりで乗り越えたのですね。
河除さん:乗り越えたというか、ひたすら我慢ですね。時代のせいもあるかもしれないですけれど、いじめが重く見られていない時代で、自分でどうにかするしかなかったです。
高校は、同じ中学校の子がいない学校にたまたま入りました。おかげで、いじめはなくなりましたけれど、今度は友達をどうやって作ればいいかわからなくなってしまって。「こんな自分と友達になってくれる人がおるがかな」と不安で、声をかけられなくて。いじめもしんどかったけど、友達がいないのもしんどかったです。お昼もひとりで食べていました。
2年生になったとき、「このままではしんどい」と思って、同じようにひとりでいる子に「友達になってくれん?」と声をかけました。そうしたら友達になってくれて、そこから友達が増えていきました。
卒業後は短大に進んで、図書館司書の資格を取りました。友達もできて、楽しく過ごしていましたね。