「顔面動静脈奇形」という難病のため、うまれつき鼻と上口唇が変形している河除静香さん。鼻の奥に血管の塊ができるため、幼少期から、何十回と顔の手術を繰り返してきました。見た目を理由にしたいじめは、保育園のころから中学卒業まで続いたと言います。(全3回中の1回)

生後3か月から40回以上の手術

河除静香
生後100日のときに祖母と

── 河除さんは「顔面動静脈奇形」という難病を抱えていらっしゃいますが、病気は産まれてすぐにわかったのですか?

 

河除さん:そうです。生まれつき鼻の奥に血管の塊があって、そのせいで鼻と口が変形していました。しょっちゅう鼻血が出て、それが止まらなくて。でも、指定難病だとわかったのはずっとあとのこと。27歳のときに「顔面動静脈奇形」と診断されました。それまでは「血管腫」と言われて、治療を受けていました。

 

── どのような治療を受けられたのでしょうか。「顔面動静脈奇形」という病名がわかってから、治療法は変わりましたか?

 

河除さん:治療法は変わりません。おもに、血管内に硬化剤を注入して血管を萎縮させる「硬化療法」という治療です。それに加えて、血管をつぶしたり切り取ったりする手術と、顔の形を整えるための手術をあわせて40回以上受けました。最初の手術は生後3か月のときで、4歳までは母と一緒にほとんど入院生活を送っていました。家に帰れたのは、1年間でトータルすると2か月ほどだったそうです。4歳を過ぎてからも、長いときは2か月間入院していました。小学校に上がってからは、夏休みを利用して1か月間の入院で済むように調整していたと母に聞きました。いま考えると大変でしたが、小さいころからそれが当たり前だったせいか、「そんなもんや」と思っていましたね。

 

── 親御さんも心配だったでしょうね。

 

河除さん:特に母が一生懸命やってくれました。あちこちの病院へ連れて行ってくれて、富山から東京の病院まで行ったこともあります。最終的には金沢の病院を拠点にして、自宅近くの病院でも診てもらっていました。手術のたびに金沢の病院に入院するのですが、4歳からは完全看護だから親は夜は帰らないといけないんです。自宅まで1時間以上かかるのに、母は毎日来てくれて、面会時間の朝8時から夜8時までいてくれました。