小学3年生のときに大きな転機が訪れた

── ほかの授業はいかがでしたか?体育など、体を動かす時間は楽しめましたか?
レンタルさん:体育は結構、得意でしたね。子どものときはすごくやせていましたが、そのぶん、身のこなしは軽やかで、跳び箱とか得意でした。とくに覚えているのは「うんてい」です。僕が通っていた小学校はすごく長いうんていがあったんです。みんな頑張ってうんていを渡ろうとしますが、やっぱり途中で脱落していくんですよね。そんななか、僕だけスイスイ前に進んで、ゴールまで辿り着いたんです。「普段、全然しゃべらないアイツが、1人だけ成功したぞ…!」みたいな空気になって、学級通信みたいなお知らせにも載りました。クラスではまったくしゃべらないけど、謎にうんていができるやつ、と(笑)。
──うんていで颯爽と前に進むレンタルさんを想像します(笑)。体育の時間では力を発揮されましたが、普段はしゃべらない気持ちをどこかで発散することはありましたか?
レンタルさん:ちょっと言いにくいのですが。そのころ近所の公園にたくさんの自転車が止めてあって、クラスの子の自転車を倒して元に戻すとか。休み時間に黒板に嫌いな人の悪口を小さく書いて消すとか。そんなことはしたことがあります。当時はストレスが溜まっている自覚はなかったんですけど、それでもみんな僕のことを変なやつと思っているんだろうなと感じていたし、鬱屈した思いがあったのかもしれません。
── しかし、小学校3年生でクラス替えがあると、変化があったそうですね。
レンタルさん:急にしゃべれるようになりました。3年生になってすぐ、たまたま誰かが僕の机を見て「なんか彫ってあるぞ」と言ったのです。見てみると机に「もんじ」と彫ってあったんです。「もんじ」って「もりもとしょうじ」(レンタルさんの本名)を略したみたいだなと。誰が言い始めたのかわからないですが、そこから僕のあだ名が「もんじ」になりました。みんなが「もんじ、もんじ」と言ってくれたからか、僕にもかわからないんですけど、そこから急にしゃべれるようになったんです。1、2年生のころはまったく話さなかったのに。
──「もんじ」が大きなきっかけに。
レンタルさん:もしかしたら誰かが僕を気にしてくれて、僕が話し出せるきっかけを探ってくれたのかもしれません。みんなすごく親しみを持って接してくれたし、僕も普通に話ができるようになりました。自分から誰かに話しかけることは少なかったけど、会話が始まるとクラスのなかでも活発にしゃべる部類の人になりましたね。普段からよく遊ぶような仲のいい友達もできたし楽しかったです。小学校を卒業するまで穏やかに過ごせました。