「しゃべれなかった時期」経験し、大人になった今
── 中学ではいかがでしたか?
レンタルさん:中学校では会話に困ることなく、みんなと話ができましたが、中学1年の途中から入った塾では、塾に入った瞬間から誰ともしゃべりませんでした。これは、場面緘黙症のような症状と言っていいのかわかりません。みんなは他校の生徒とも仲良くしていましたが、僕はその輪に入っていくことはできなかったですね。ただ学校と違って勉強だけをしに行く場所だったので、しゃべれなくてもとくに気にならなかったです。
小学生のころ、僕に悪口を言って反応を見にきた人がいましたが、その塾でも同じように僕に嫌なことを言って、僕の反応を見る人がいたのですが、そこは完全無視でした。そのぶん、成績でカバーしたんです。塾のテストは成績や順位が出ましたが、僕はほとんど1位だったと思います。たぶん、塾で人との交流を排除したぶん、いい成績を残すことで自分を保っていた部分もあったと思うんですけど。
── 大人になって、当時を振り返ってどう思いますか?
レンタルさん:今でもなぜ、あのとき学校でうまくしゃべれなかったのかわかりません。大人になってから場面緘黙症という言葉を知り、あとから当時の僕はそうだったんだろうと受け止めていますが、何か治療したわけでもなく、僕の場合は小学3年生のときのクラス替えとか、環境の変化で人と話せるようになりました。ただ、場面緘黙症というような言葉を知っていれば、僕も僕の周りの人たちも違う反応ができたのかなとは思います。
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小学校時代は場面緘黙症のような症状に悩んだレンタルさん。小学3年生での出来事を機に集団の中でもしゃべれるようになってからは順調に日々を過ごしていきます。しかし、兄と姉の死などを経験したことで自身の生き方について次第に考えるように。それが現在の「レンタルなんもしない人」という活動に繋がっていきます。依頼の背景はさまざまだそうですが、自身の経験を活かし、上手に人と話せない人の気持ちに寄り添えているようです。
取材・文/松永怜 写真提供/レンタルなんもしない人