夜中になると死に対する恐怖が押し寄せて

千羽鶴
家族、義父母、姉、両親、みんなで協力して作ってくれた千羽鶴

── 小澤さん自身は落ち着いていらっしゃったんですね。

 

小澤さん:入院の準備や子どものこと、家の片づけや夫への引き継ぎ、仕事の連絡などでバタバタしていて、感傷にじっくりひたる間もなく過ごしていました。ただ、夜中に布団に入ると、死に対する恐怖がブワーッと押し寄せてきて泣きました。翌日は気持ちを持ち直して子どもたちを学校に送り出したのですが、夫と今後のことを話していると、どんな治療が待ち受けているかと不安になり、また涙が出てきて…。大丈夫だと思う気持ちと不安な気持ちが押し寄せてくる感じです。

 

── 小澤さんが入院中は旦那さんがひとりで家事や子育てをされたのですか?

 

小澤さん:夫が仕事を調整しながら基本的にはやりくりしてくれました。食事に関しては、夫の実家が車で5分くらいと近かったので、義母がご飯を作って朝届けてくれ、それを晩ご飯にいただいていたそうです。また、電車で1時間くらいの場所に私の姉が住んでいたので、週1回は自宅に来てご飯を作ってくれ、義母と姉にはかなり助けられました。

 

──フリーアナウンサーの仕事はいったんすべてキャンセルせざるを得ない状況ですよね。

 

小澤さん:はい。半年もの入院になるので、決まっていた司会や講師などの仕事はいったん白紙になりました。レギュラーの仕事としては、ラジオのコミュニティFMで週に1回、2時間の生放送番組を担当していたのですが、治療が無事に終わったとしても復帰がいつになるかわからないから、もう辞めるしかないと思っていたんです。

 

でも、番組担当者の方が「待ってるよ」と言葉をかけてくれたのがすごくありがたく、「絶対にラジオに戻るぞ!」という目標を掲げて治療に挑むことができました。目標を持つことは治療のモチベーションを保つのにすごく重要で、「待ってるよ」というその言葉がなければ、病気が治ったところで仕事はゼロなわけですし、治療に挑む力は果たして湧いてきたのかな、と思ってしまいます。

 

アナウンサーという職業柄、自分の経験を伝えたい、伝えなくちゃという使命感もあふれてきて「この経験を絶対にムダにしたくない。復活して全国で講演して回るんだ!」という思いを持てたので、「病には絶対負けないぞ」と強い気持ちになれました。

 

── フリーランスですと、仕事を休んでも生活の保障がないですし、何かがん保険に入るなど対策はされていたのですか?

 

小澤さん:それがね、入ってなかったんですよ。恥ずかしながら「2人に1人はがんになる時代」なんていうがん保険のCMを見ても他人事で、自分は大丈夫と思っていたんです。私の場合、治療費は総額で約1000万円近くかかっています。唯一、県民共済には入っていたので入院費の補助が出たのと、健康保険の高額療養費制度で一定の限度額が決められているので、負担はある程度おさえられました。日本のこの社会保障、医療制度はすごくありがたいです。

 

 

コロナ禍での入院による抗がん剤治療は約7か月にもおよび、家族の面会もできない日々が続きました。強い薬が投与されたときは副作用で髪の毛がごっそり抜け、吐き気を耐えるのがつらかったと小澤さんは当時を振り返ります。2人の娘さんのメンタルにも大きな負担がかかり、学校に行けなくなる日もあったそうですが、弱音を吐かずに気丈に振舞った旦那さんのおかげで、家族は苦難を乗り越えることができたそう。そんな旦那さんには感謝しかないそうです。


取材・文/富田夏子 写真提供/小澤由実