母に「鏡を見せて」と頼むと…

しぶき
中学3年生で病気を発症し、絶望を感じていたころ

── 左の顔面麻痺についてわかったのはどのタイミングですか?

 

しぶきさん:リハビリで少しずつ体を起こす練習をして、ベッド上で座れるようになってきたとき、手は動いたんですけど、自分の手が届く範囲に鏡や携帯が置いていなかったんです。母があえて鏡や携帯を遠くに置いて、私が自分の顔を見せないようにしていたようでした。でも、自分の顔の筋肉が何かに引っ張られているような感じがしたし、口がうまく動かせない違和感もあったので、母に「鏡を見たい」と言うと見せてくれました。

 

「これが私の顔?」と鏡を見た瞬間、かなりの衝撃とショックが強くて頭が真っ白に…。パニックになって、母と2人で大泣きしながら何も考えられませんでした。涙が全然止まらなくて、この先どうやって生きていけばいいのか。恋愛や友達作り、将来の仕事とか結婚とか、当たり前にできると思っていたこともできなくなってしまうんだな思うとまた泣けてきて。

 

── 顔面麻痺について、事前に先生から説明はあったのでしょうか?

 

しぶきさん:たぶん、事前に説明もされていたと思うんですけど、そこまで状況の理解が追いついてなかったんでしょうね。

 

── 顔の左側が顔面麻痺、体の右半分に麻痺が残ったそうですが、体の麻痺はどんな影響がありましたか?

 

しぶきさん:体幹の筋肉が極端に落ちて、体のバランスを保つことが難しかったです。体も足も麻痺でグラグラ揺れている感じがして、平行棒で歩く練習をしたときも、足を床につこうとしても足の位置が定まりませんでした。飲みこみ(嚥下)もうまくいかず、水を飲んでもこぼしてしまう。左目が見にくく、右手はうまくペンを持つことができず、字を書いてもブレてしまいました。そのため、まずは筋力をつけたり、歩く練習をしながら日常生活に戻れるようなリハビリをしました。

 

── 大学病院では1か月程度入院して、その後リハビリ専門病院に転院されました。

 

しぶきさん:継続してリハビリをしていましたが、転院して半年程度経ったとき、再び状態が悪くなって大学病院に戻りました。ここでもすぐに手術はせずに、検査を続けながら様子を見ていましたが、あるとき呼吸状態がだんだん悪くなって、心臓が一度止まってしまい、緊急手術をすることになりました。再度、同じ部位が出血していましたが、奇跡的に回復することができました。

 

顔面麻痺の状態はほとんど変わりませんでしたが、それ以外の機能はさらに悪くなってしまい。特に開口障害と言って、口が開けにくくなりました。

 

また、今でもそうですが、麻痺している部分は温度がわかりにくいんです。たとえばお風呂のお湯が熱い、冷たいがわからないので、火傷をしても気づきにくい。湯船に入るときは麻痺してない足から入れるなど、注意しています。また、麻痺の影響でうまく瞬きができないため、左目の乾燥を防ぎ、目を保護するためにラップをつけています。