中学3年生のときに脳出血を発症。脳幹部にある血管奇形の一種「海綿状血管腫」によって左の顔面麻痺や右の半身麻痺など、いくつかの障がいが残ったしぶきさん。将来はモデルの仕事に憧れながら、楽しく過ごしていた日常が一変して── 。(全3回中の1回)
授業中に視界が急に定まらなくなって

── しぶきさんは中学3年生のときに脳出血を発症し、左の顔面麻痺や右の半身麻痺など、いくつかの障がいが残ったと聞いています。まず、病気を発症する前は、ご自身ではどんな学生だったと思いますか?
しぶきさん:中学ではソフトテニス部に所属し、明るく元気なタイプでした。洋服やメイク、おしゃれも大好きで、私が小学生のときは、母がファッションショーのモデルに申し込んでくれて、結婚式場で開催された小さなステージにも立ったことがあるんです。将来は本格的にモデルの仕事をしてみたいなと思ったこともありました。
── 将来に夢を抱くなか、どういった状況で病気を発症されたのでしょうか?
しぶきさん:中学3年生のとき、4時間目の授業中に具合が悪くなって体が前に倒れ、机の上に置いてあった教科書やノートを閉じて、寝てしまったようでした。その後、授業が終わって立ったときに、視界が定まらずにフラフラしてしまって。トイレに行って自分の目を鏡で見ようとしたら焦点が合わず。「これはおかしい」と思って友達にお願いして、一緒に保健室に連れて行ってもらう途中で倒れてしまったんです。
友達が慌てて先生を呼びに行き、先生におんぶされながら保健室につきました。保健室のベットに横になるころには右半身の痺れを感じてきて、唾は飲み込めず、しゃべりにくさもありました。先生は私の異変にそこまで気づかなかったのですが、母が学校に呼ばれて駆けつけると、すぐに私の様子に気づいてくれて。水を飲ませようとしたら全部吐いてしまい、「これはただごとじゃない」と救急車を呼んでもらいました。
ここから意識がなくて後から聞いた話になりますが、はじめに運ばれた病院では「ここではどうにもできない」と言われ、すぐに大学病院に運ばれたと聞いています。ただ、大学病院に運ばれてそのまま手術になったわけではなく、いろいろ検査をした結果、数日後に手術をすることになりました。
── その後、手術が終わって目を覚ましたときの状態は覚えていますか?
しぶきさん:ぼんやりしていますが、自分の体が思うように動かなくて、体が麻痺していることはわかりました。この体が治るのかどうかを母に聞いたような気がします。母は「治るかどうかわからないけど、リハビリ次第」って言っていたのかな。その後、リハビリを少しずつ始めていきました。