自分を受け入れることが難しかったけど
── その後、再度リハビリ病院に転院したのち、数か月後に退院されました。病院では医療従事者が周りにたくさんいますが、自宅に戻った後の生活はいかがでしたか?
しぶきさん:体は徐々に慣れましたが、気持ちの落ち込みがありました。入院中は、たとえばお風呂から上がった後に自分で下着をつけることも難しかったので、看護師さんや介護助手の方が手伝ってくれたんです。自宅に戻って母が手伝ってくれようとしましたが、自分でできない情けなさと恥ずかしさを感じて、母に感情をぶつけてしまうこともありました。
しばらく療養していましたが、家で過ごす時間が長いぶん、「どうして自分はこんな大病を患ってしまったんだろう」とネガティブなことも考えてしまって。街に出たら、他人は自分の顔を見てどう思うんだろうとか考えることがありましたし、実際ジロジロ見られたこともありました。気持ちのコントロールができず、部屋に閉じこもってしまう日も。
── かなりつらい思いをされたかと思いますが、そうした思いを相談する相手はいましたか?
しぶきさん:私の父の同級生の妹さんです。その方も過去に大病を経験されていたので、私の気持ちをとてもわかってくれました。なにかあるとその方に相談してアドバイスをもらっていましたね。もちろん、親に相談しても親身になって聞いてくれると思いましたが、親を悲しませてはいけないと思うと言いにくくて、その方にお話しすることが多かったです。
── 心強い相談相手がいらっしゃったのですね。自宅で療養しながら、その後の学校生活はどうなりましたか?
しぶきさん:学校は卒業式だけ参加しました。仲のいい友達には事前に状況を伝えていましたが、ほとんどの友達は倒れて以来の再会です。顔も体もすっかり変わってしまった私ですが、みんなと会うなり「久しぶり!」「元気になってよかった」と他愛のない話をしながら、あまり深刻な雰囲気にはならなかったと思います。
その後、1年間は通院と療養生活を送りながら同級生より1年遅れて、高校に進学することになりました。
中学生でまさかこんな大病を患うとは思わず、病気の発症から数年間は自分の障がいを受け入れることができませんでした。それでも、常に寄り添ってくれた両親や、何かあれば相談に乗ってくれた父の同級生の妹さん。そして医療従事者の方々や友達。場面場面でたくさんの方に助けがあって、つらい状況ながらも少しずつ前に進むことができたと思っています。
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高校、短大へと進学したしぶきさん。最初こそ周囲と打ち解けられず悩んだものの、次第に道を切り開いていきます。そのころには飲食は問題なくできるようになり、友達と一緒に遊びに出かけて奪われた青春を謳歌するように。そんなときに出会ったのが今の旦那さんでした。障がいがあることで恋愛は無縁と思っていたしぶきさんに寄り添ってくれた彼の存在で「人生が心から楽しい!」と思えるようになったそうです。
取材・文/松永怜 写真提供/しぶき