家族は誰も会社を辞めることに反対しなかった

── 結婚を決めたいちばんの理由はなんでしたか?

 

どくさいさん:たまに揉めたりはしましたけど、一緒にいて楽しかったんですよね。こんなことは初めてでした。「この人ならこの先もずっと一緒にやっていける」って気づいたので、プロポーズしました。そういう意味では、やっぱり大喜利をやっていてよかった。大喜利のおかげで、友達もめちゃくちゃ増えたし、結婚もできましたから。

 

── 会社を辞めて東京でフリーランスの芸人として活動することを、奥さんはどう思われていたのでしょう?

 

どくさいさん:妻は東北出身で、僕も子どものころは神奈川に住んでいました。それぞれ大学進学のために大阪に来たのですが、関西は楽しいけれど、正直ちょっと合わない部分があって。それで妻とは「いつか東京に出たいね」という話をずっとしていたんです。だから、妻に相談したらすんなりOKをもらえました。

 

── ほかのご家族の反応はいかがでしたか?

 

どくさいさん:僕の両親に相談に行ったら、「こうなるだろうと思っていた」とあっさり言われて。「蓄えはあるのか」って聞かれたので、説明して許しを得ました。妻のご両親がいちばん心配で。許してくれないんじゃないかと想像していたのですが、いざ伝えたら「娘もその覚悟で結婚したと思う」と受け入れてくれました。説得が難しいと思っていた両親が、とても協力的だったのが意外でしたね。おそらく、その前年に『R-1』の決勝に進めたのが大きかった気がします。なにも結果を残していない状態で「お笑いをやりたい」と言っても、たぶん認めてもらえなかったと思うので。

 

奥さんが手がけたライブのフライヤー

── 奥さんにも上京をあと押ししてもらえたのは、心強かったでしょうね。

 

どくさいさん:そうですね。妻は仕事を辞めてついてきてくれました。今はアルバイトをしながら絵を描いたりしています。妻は芸術大学出身で、絵画を専門に学んでいたので、絵は得意なんです。僕は絵はまったく描けないんで、フライヤー制作などは妻に頼んでいます。

 

とはいえ、妻にはなるべく迷惑をかけたくなくて。自分がお笑いをやりたいといって会社を辞めてきたのだから、少なくとも自分ができることは自分でやらないと、と思っています。事務作業などは自分でやりますし、ライブをやるってなったら、会場を借りるのも自分。メールなどのやりとりでもなんでもやります。

 

── 会社員時代のキャリアがこういう部分に生きているんですね。忙しいときもあると思いますが、夫婦間で気をつけていることはありますか?

 

どくさいさん:忙しくて手が回っていないものがあるときは、妻には早めに言うようにしています。というのも、以前ミスったことがあって。同棲を始めるタイミングに、ライブの予定を入れすぎてしまったんです。エアコンの業者さんとの立ち合いなど雑用を妻にまかせっきりにしてしまって。そうしたら、「こんなことが続くのなら、関係を続ける自信がないよ」と言われてしまい、猛反省しました。それ以来、予定が重複しすぎないように気をつけています。