野球卒業も「違う形で叶えた」父の夢

上田航平
野球嫌いになってしまった幼少期

── それでもお父さんはあきらめなかったのですか?

 

上田さん:そうですね。父もいろいろと角度を変えながら、僕に野球をやらせようとアプローチを試みていました。たとえば朝早くに僕を起こしていっしょにランニングをさせて、頑張ったごほうびにと帰りのコンビニでパンやジュースを買ってくれるわけです。「頑張った後に食べるとおいしいだろう」と父は言っていましたが、僕としては朝早く起きるのも走るのもつらくて…。残念ながら、それだけじゃ頑張ることはできませんでしたね。

 

父も最初は「息子を野球選手にするぞ」とワクワクしていたと思います。でも、いっしょに野球をやりたいのに、僕は全然、言うことを聞かないわけですよ。思い通りにいかない状況に、徐々に落ち込んでいっていたように感じます。

 

── 結局、いつごろまで野球を続けたのですか?

 

上田さん:小学4年生くらいまでです。中学受験をする予定があったので、そのころから生活が勉強中心になり始めて。「野球をやめる」とはっきり言ったわけではありませんが、受験は父の希望でもあったので、そのころから野球をやろうとは言われなくなりました。

 

── 本心ではさみしがっていた?

 

上田さん:そうだと思いますが、僕を野球選手にすることをあきらめてからは、「好きなことをすればいい」というスタンスに変わっていきました。「なにをやってもいいけれど、好きだと思えたことは一生懸命やれ」と。僕がお笑いの道に進んだときも応援してくれて、自分がワクワクするような道を歩いてほしいと言っていましたね。

 

── お笑い芸人になってから、上田さんが野球のユニフォームを着てコントをし、それをお父さんが見にこられたことがあったそうですね。

 

上田さん:そうなんです。僕が単独ライブをやったときに、「野球部の勧誘かと思いきやマルチ商法の勧誘だった」という内容のコントをやりました。そのときに衣装で野球のユニフォームを着ていたのですが、友人とライブを見にきていた父は驚いたようで。父の友人によると僕のユニフォーム姿を見て、父はうれしくて泣いていたそうです。本人は否定していましたが(笑)。かなり違う形ですが、父の夢を叶えられたのかなと思います。