長男誕生の2014年に「ダンソン」を初披露

── その後、『キングオブコント2014』で披露した「ダンソン」で一気に注目を集めました。誕生のきっかけを聞かせてください。

 

石山さん:せっかく1軍に残れたのに、劇場で唯一出番が入っていなくて、1週間オフにされたんです。悔しくて、タイへ6泊7日のハネムーンに行くことにしました。新婚旅行先でゾウを見ていたら、ゾウ使いが竹の棒を使って柵をたたいてゾウを呼んでいる様子がめちゃくちゃ興味深くて。叩く回数によってそれぞれのゾウへの合図になっていたり、ここで何頭来るかとかが決まっていたりするんやろうなと思っているうちに「あれ?これは何かできそうやぞ」とひらめいたんです。

 

奥さんがゾウの写真を撮っているなか、僕は必死に頭を回転させました。ダンソンから始まる歌詞は1発目からすべて決めてノートに書き留めて、叩くのは芸がないから踊ることにしようと決めて。帰国後、イタリア料理のチェーン店で、藤田に絵を描きながら説明しました。藤田も初めはポカーンとしながら聞いてたんですけど、ネタをやってみたら思いのほかウケたので手ごたえを感じました。

 

初めて『キングオブコント』準決勝に進んだのは、2013年のことです。支配人も藤田も周りもみんな「準決勝の1本目は絶対にダンソンやろ?」と言ってたんですけど、僕は今回はやらないと決めていました。と言うのも、大阪勢の若手は1〜3番目の出番になることが多かったので、まだ現場があたたまってない状態でダンソンを出してスベるより、まずは別のおもしろいネタで名前を覚えてもらったほうがいいと考えたんです。

 

藤田に「来年も準決勝に来たら、もう少し出番が後ろになると思う。そのときに満を持してダンソンを出そう」と話して、その年の『KOC』ではやりませんでした。予想通り、2013年のときに2番目だった出番が、翌年の準決勝ではちょうど真ん中になったんです。思いっきり踊ってニーブラした瞬間、今までに聞いたことがないくらいウケて。目を見開いて笑いが収まるのを待つ時間までできました。

 

ちょうど準決勝の1か月ほど前に長男が産まれたばかりだったので、そのあいだはずっと息子の顔が浮かんでいました。最後に藤田を捕まえてバーンとウケてネタが終わったときは、初めて自然とガッツポーズが出ましたね。しかも、決勝進出者の発表で「バンビーノ!」と呼ばれたときに、ふと舞台袖を見たらNSCで叱咤激励してくれていた先生がグーサインをしてくれていて。舞台袖に戻ったら「お前らのいいところ、苦労したリズムネタ、今までぶっ飛んだことをやってきた頑張り、すべてが集まったやつがいいタイミングで出たんちゃうか」とねぎらってくれました。

 

石山タオル
相方・藤田さんに「ニーブラ」をする石山さん

── そして、ついに決勝の舞台に。

 

石山さん:決勝前はめちゃくちゃ入念なリハーサルをしました。息ぎれしないようにブレスの位置を細かく決めたり、ここは鼻で息を吸ったほうがいいなと考えたり。テープでマスキングして舞台を想定して、槍を置く位置も細かく決めて、何回も練習しました。

 

そんなふうに必死に練習を重ねて臨んだ決勝の舞台だったんですけど、ここで衝撃の出来事が起こったんです。「ダンソン」はお面を被って動物に扮した藤田を僕が踊りと歌で誘って仕留めるというコントなんですが、3匹目の鹿が袖から出てくる場面で、踊りながら舞台袖をふと見たら、藤田がなぜかお面を取って空気を吸ってたんですよ。今まで袖から出てくる直前にお面を被ってないなんてことが1度もなかったので「もうネタ飛んでもうてるやん!」って、めっちゃびっくりしました。当時の映像を見ると、歌いながら僕の声がちょっと小さくなっているところがあって。それはまさに空気を吸う藤田を見たときなんです(笑)。

 

結局、鹿が舞台に登場するタイミングで藤田がお面を被ってギリギリ間に合ったんですけど。「なんであんなことしたん?」ってのちに聞いたら「俺だって決勝の空気吸いたいやん。俺だってお面なしで普通に決勝の景色見たい」って言っていて。決勝の舞台で、コントの途中にそれを実行するとは、藤田の度胸強さにはびっくりしました(笑)。

 

つらいことって不思議と忘れていきますね。それまではほんまに貧乏でした。食べるものは100円のファストフードや150円のたこせんだったので、今より20キロ以上痩せていましたし、ホームレスの炊き出しに行ったこともありました。「犬を連れてるホームレスがランク1個上なんやで。冬は暖も取れるやろ」とか「白い犬を連れてる人がさらにもう1個上の人や」とか、ディープな情報も教えてもらって。得てきた経験すべてがコントのヒントになっていたような気がします。

 

『KOC』の結果には両親も驚いていましたし、テレビを見て僕が芸人だということを初めて知った地元の友達や、昔サッカーで選抜が一緒やった仲間からも連絡が来ました。長男も産まれたばかりだったので感慨深かったです。