「昔は貧乏で、ホームレスの炊き出しに行ったり150円のたこせんを食べて生活したりしていた」と下積み時代を振り返る、バンビーノ・石山タオルさん。大ブレイクのきっかけとなった「ダンソン」を披露した『キングオブコント2014』決勝の舞台では、とんでもない光景を目にすることになります。(全4回中の3回)

「下と合わすな。上と合わせ」妻のひと言で奮起

石山タオル
コンビを組んですぐのころのバンビーノ

── 28歳で結婚し、相方・藤田さんと義両親に「お笑いは30歳になったら辞めます」と宣言したそうですね。退路を断ったあと、どのようにお笑いと向き合ったのでしょうか?

 

石山さん:結婚してからはさらにお笑いに集中しました。でもある日、寝ているときに奥さんにバッと起こされて「何、寝てんねん!」って言われて。「俺は洗い物とか家事を結構やってるほうや!」と反論したら、「下と合わすな。上と合わせ!」みたいなことを言われたんです(笑)。たしかに30歳で売れなあかんのに寝てる場合ではないなと奥さんのひと言で思い直して。夜はバイトで収入を得ながら、日中はネタ作りやネタ合わせをして舞台に出るという形でお笑いに全力投球して、寝る間も惜しんで頑張るようになりました。

 

── 奥さんのひと言で奮起されたんですね!

 

石山さん:そうですね。ちょうどその時期に、よしもとの同期の中の1位を決めるお笑いライブが開催されたんです。お客さんの投票で予選から3組が決勝に進むシステムだったんですけど、努力の甲斐があってか、バンビーノが予選を通過することができて。さらに、当時めっちゃ人気で下馬評でも1位やったお笑いコンビ・プリマ旦那を、僕たちが決勝で倒したんです。芸人や社員さん、お笑い好きの方々など全員が「30期はバンビーノが優勝したらしいで。なんでなんで!?」ってザワザワしていました(笑)。

 

その流れで、若手芸人の活躍の場として用意されていた「5upよしもと」という劇場で1軍となる上位15組に入ることができました。でも、ここからがまた大変で。「5upよしもと」は順位による入れ替え制なんですけど、当時はかまいたちさんや天竺鼠さん、アキナさんなどの人気芸人がひしめく状況。人気も知名度もなかった僕らは、舞台で爪痕を残さないと、降格させられてしまうんですよね。

 

毎月、必死にネタを作って単独ライブをするなか、とうとう降格圏内の13位になってしまったことがあったんです。そしたら、「売れなかったころにまた戻ってしまうんじゃないか」という不安に駆られた藤田が、非常階段に座り込んで泣き出して。突然、「俺らが売れへんのはコンビ名があかんのちゃうか。バンビーノの“バ”をヴァンパイヤの“ヴァ”に変えよう」とか言い出したんです(笑)。

 

「いや、お前がコンビ名決めたんやし、そんなちょっと改名したくらいで人生は変わらんて!」と伝えたら「じゃあトリオにするか?」とまで言い出して。このやりとりだけでも、不安定さがめっちゃわかるじゃないですか(笑)。「藤田、それは全部ダメだ。自分たちを信じてやるしかない」みたいなことを言って、鼓舞し合った結果、なんとか首の皮1枚つながって1軍に残れました。このときはめちゃくちゃ頑張ったかもしれません。