「自分にとっての当たり前」にハッとした瞬間

星来
モデルとしても積極的に活動している

── 星来さんがモデルとして発信する活動も、その「きっかけ」を届けるひとつになっていますね。

 

星来さん:そうだとうれしいです。障がいがあると「特別な存在」「話しかけづらい」と思われがちですが、私の活動を通して「意外と普通なんだな」と親しみを感じてもらえたり、「こんなことに困っているんだ」と知ってもらえたらいいなと。そうした経験から、今は当事者として、「いろんな人がいて当たり前」と子どもたちが思えるような社会をつくるお手伝いがしたいと考えるようになりました。

 

── 普段の生活でも、周囲には見えにくい困りごとや工夫がたくさんあるのでは?

 

星来さん:そうですね。たとえば、私は重い荷物を持つと関節に負担がかかってしまうため、キャリーバッグで通学しています。そのため、階段が使えず、エレベーターを利用するのですが、混んでいると健常者の人たちがワーッと先に乗って、何台も見送るという場面も少なくないんです。エレベーターには、障がい者優先を示す表示もありますが、きっと私は「体は小さいけれど普通に歩いているし、譲るほどではないのかな」と思われるのかもしれません。以前、杖を使っていた友人が車椅子になった途端、「周りが気を使って譲ってくれるようになった」と話していました。やはり見た目にわかりやすいほうが手を差し伸べてもらいやすいのだと感じます。とはいえ、「譲ってください」とは言いづらいし、「わがままだと思われたら嫌だな」という気持ちもあって、乗れるまで待つことがほとんどですね。

 

── そうした「見えない苦労」は、なかなか周りには伝わりにくいものですよね。

 

星来さん:自分にとっての「当たり前」が他人にとってはそうじゃないんだと気づかされることもあります。あるとき、大学でエレベーターを待っていたら、友人から「エレベーター待つのってめんどうじゃない?階段のほうが早いよ」と言われて。でも私としては、階段だと体に負担がかかるし、多少待ってでもエレベーターのほうがいい。タブレット1台でも「ちょっと重いな」と感じるくらいなので。でも、そう聞かれてはじめて「エレベーターを待つのって、みんなからすればめんどうなことなのか」とハッとさせられました。

 

── 自分にとっての「当たり前」が、人にとってはそうではない。まさに耳の痛い話です。ところで「重いものが持てない」というのは筋力の問題なのでしょうか?

 

星来さん:これには2つの理由があります。まず、私は小学6年生のときに、背骨が大きく曲がる側弯症の手術をしていて、今も背中に金属が入っています。固定されている範囲は、背中の上のほうから腰の手前まで。つまり、腰から下の部分は、まだ自分の骨で支えている状態なんです。そのため、重い荷物を持って腰に負荷がかかると、残っている骨の部分がさらに曲がってしまう可能性があるんですね。

 

もう1つの理由は股関節です。1年ほど前から関節の間の軟骨がすり減ってきていることがわかりました。普通なら年を重ねてすり減りますが、私は20歳にしてすでに摩耗が始まっている状態です。軟骨は一度すり減ると自然には再生できず、進行すると強い痛みを伴います。治療法としては、最終的に人工股関節を入れるしかないのですが、人工関節には耐用年数があるため、できるだけその時期を先延ばしにしたいと考えているんです。そのため、階段を避けたり、重いものを持たないようにして負荷を減らす工夫をしています。筋力の問題ではなく、あくまで予防のためなんです。