側弯症で右に74度曲がって

── 子ども時代、体が小さいことで、学校生活で困ったことはありましたか?
星来さん:最初はランドセルを使っていましたが、重くて関節に負担がかかってしまうため、4年生のころからは軽いリュックに変えました。教科書も家用と学校用の2セット用意してもらっていましたね。6年生のときに背骨が大きく曲がる「側弯症」の手術を受けてから、キャリーケースで通学していました。
── 側弯症と診断されたとき、どのような状態だったのでしょう?
星来さん:4年生のころ、母が私の肋骨のでっぱりに違和感を覚えたのがきっかけでした。慌てて病院に行くと、すでに側弯症がかなり進行していることが判明したんです。コルセットで矯正を試みたものの、残念ながら進行は止まらず、最終的には右に74度まで曲がってしまいました。そのため、6年生のときに、背中に金属の棒を入れて背骨をまっすぐに固定する手術を受けることに。術後しばらくは、寝返りも打てないほどの激痛で、息をするのもつらかったですね。
でも、その経験があったからこそ、家族や医療スタッフをはじめ、たくさんの人たちに支えられていることを実感できました。それが、「今度は自分が誰かの支えになりたい」という今の活動にも繋がっています。
15歳で受けた遺伝子検査の結果で、側弯症になりやすい特性があるとわかりました。もし早くわかっていたら予防できたかもしれないと考えると、少し残念です。背中の金属は抜くこともできますが、リスクが高いので、今も体に入ったままになっています。
── 中学校では中高一貫校に進まれています。学校選びで重視したことはなんでしょう?
星来さん:中学進学のとき、膝が内側に寄ってしまうX脚の手術が決まっていたので、エレベーターなど設備が整っている学校を希望し、国立の中高一貫校を受験したんです。入学後、両膝の内側にビスを入れる手術を受けました。
── 中高一貫校での生活は、星来さんにとってどのようなものでしたか?友人や先生との出会いのなかで、特に印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
星来さん:本当に人に恵まれた環境でした。障がいがあるからといって特別扱いするのではなく、みんなが自然体で接してくれました。普段は冗談を言いあい、私が困っていると当たり前のように手を差し伸べてくれる。そんな素敵な仲間たちと過ごした日々が、ありのままの自分を受け入れる気持ちや、人前に出ることへの抵抗感のなさに繋がっていると実感しています。ただ、そんな学校生活の中で、唯一好きではなかったのが、球技大会でした。