ブレイク時はタクシーに乗る順番でもめたことも
── 仕事がだんだん減り始めたのはいつごろからだったのでしょうか。
はまやねんさん:2、3年目も仕事はいちおうあったんですよ。急にバーンと仕事がなくなったというより、だんだん減っていった感じでした。実際、実力はなかったんで。下積み時代がなかったし、トークの仕方も作り方もわからん。ショートコントもなかったし、毎日疲れすぎて、ネタをしっかり作れてもいなくて。そんな状態でバラエティに出るって、純白のウサギが猛獣の檻に入れられた感じ。何もできん、食われるだけ、みたいな状況でした。
── 仕事が減ってきたなかで心の支えになったことは何でしたか?
はまやねんさん:相方と話すことですかね。もともと中学の友人なんです。中学時代は3年間同じグループで、1、2年は違うクラスだったんですけど、昼飯とか一緒に食べて。3年で同じクラスになってからは、ずっと毎日一緒に遊んでいました。
── 芸人のコンビはブレイク後、仲が悪くなるケースがよくあると聞きますが、おふたりはいかがでしたか?
はまやねんさん:僕らもブレイクしたときは、ほんまに一緒におるのも嫌や、くらいな感じでした。仲が悪い…というか、全然しゃべらなくなりました。ささいなことですけど、たとえばタクシーに乗るのも、僕は手前のドア側がいいんですよ。でも、向こうも手前側がいいみたいで。「お前、(先に入って)奥行けよ」と言われて、「なんやねん、むかつくわ」みたいな。

── そうだったんですね。仕事が減ったとき、はまやねんさんとしてはどんなお気持ちでしたか?
はまやねんさん:僕としては多忙よりも、仕事が落ち着いたほうが飲みにも行けるし、プライベートな時間が作れるから、そこまで深刻にはなりませんでした。ただ、相方は焦っていましたけどね。吉本は新ネタもしっかり作って、つねにネタに向き合っていないと劇場に入れてくれないので、「ネタ作ろう、ネタ作ろう」みたいな。でも僕は「いまはお笑いコンビも多様性の時代やけどな」と思っていたんです。いまのままでも、別にいいんじゃない?とマイペースに考えていました。
── 新ネタが「できなかったらできなかったでいい」と、思われていたんですか?
はまやねんさん:そうですね。というか、僕的には「ラッスンゴレライ」しかできひんのにほかのネタをやっても、結局それを超えられへんやろって、思っていたんです。だったら、ネタは「ラッスンゴレライ」1本にして、ネタ以外の別のことをやったほうが早くない?みたいな。
── 別のこと、というのはお笑い以外で?
はまやねんさん:そうです。お笑い以外でできることがあるんだったら、そっちにシフトチェンジしても別にいいんじゃない?って。コロナ禍で劇場の出番がほとんどなくなって以降、コンビ活動はとくにしていません。