「自閉症」の診断で絶望感に襲われて…

蓬郷由希絵
生後2か月ごろのゆいなさん

── 診断名を受けたときの気持ちを教えてください。

 

蓬郷さん:心のどこかで、「やっぱりな」という納得感はありましたが、ゆいなとの「これから」を考えると絶望感に襲われてしまい…。「これからゆいなをどうやって育てていけばいいのか」という強い不安と、「まだ私は20代なのに、これからの人生はこの子に捧げなければいけないのか」という落胆。この先の苦労を想像すると、明るい未来を描くことなんてできるはずがなく、「この子と一緒にこの世を去ろうか」と考えたほどでした。

 

それでも、ゆいなのために何か行動するしかありません。「療育」という障がいがある子のための支援施設があることは知っていたので、ゆいなに適した施設を探し、月に3回通うことに。保護者も一緒に療育内容を学ぶことができる「親子療育」のスタイルで、ゆいなの生活スキルを身につけるための支援を受け始めたんです。

 

── 療育施設では、どのようなことを学んだのですか? 

 

蓬郷さん:言葉を理解できないゆいなに対して、「着替え、お風呂、トイレ、ゴミ捨てなどの生活スキルを、どのように教えるべきか」を学びました。たとえば、「お風呂に入る」という生活スキルを教えるときは、「脱いだ服をカゴに入れる」とか「どの順番で体を洗う」など、動作を細かく分割して伝えることがよいとアドバイスを受け、自宅でも実践。当たり前に思えることでも、ゆいなにとっては当たり前ではないため、「ゼロから教える」というよりは「マイナスから教える」という印象でした。

 

それでも、繰り返し練習することで、ゆいなが少しずつ理解を示してくれるようになってきて。ゆいなの「できること」がひとつずつ増えるにつれて、日々の生活に明るい兆しを感じられるようになっていきました。

 

── 療育施設への通所が、蓬郷さんとゆいなさんに変化をもたらしたのですね。

 

蓬郷さん:療育の先生はとても厳しい人でしたが、私がゆいなに、「こうやったら理解できるかな」という寄り添いの姿勢ではなく、「こうすべき」と考えを押しつけていたことにも気づかせてくれました。また、車の席に座らないゆいなに対しても、私は「座りたくないんだな」と思っていたのですが、先生は、「この子は『座りたくない』とはひと言も言っていない。『座ること』を教えてあげないといけない」と、私のなかの「思い込み」を正してくれたこともありました。

 

── 療育を進めるなかで、大変だったことはありましたか?

 

蓬郷さん:ゆいなは「言葉」で理解するのが難しいため、「言葉なし」で教えなければいけないことに大変さを感じていました。たとえば「お風呂上がりの着替え」についても、当時のゆいなは「パンツ、シャツ、パジャマ」をどの順番で着ればいいのかわかりません。そこで、着替える順番に引き出しを並べ替え、「上の引き出しから順番に着ていってね」と教えました。このように、視覚的にわかりやすく伝えるための工夫を取り入れることが、ゆいなが「自分でできる」ための近道なんです。

 

ひとつの行動を教えるために準備しなければいけないことは多く、スムーズにいかないことばかりでしたが、根気強く教え続けました。まるで、視力と聴力を失ったヘレンケラーを支えた、サリバン先生のような気分でしたね。

 

── 蓬郷さん自身の、息抜きや気分転換の時間はどのように作っていたのでしょうか。

 

蓬郷さん:パート先での仕事時間が、私にとっての気分転換の時間でした。療育がない日は、ゆいなを保育園に預けて仕事へ向かうのですが、ゆいなと離れる時間を作ることは、私の心を保つためにも必要な時間だったと感じています。