重度知的障がいを伴う自閉スペクトラム症の娘・ゆいなさんを育てる蓬郷(とまごう)由希絵さん。娘の育児を発信し、現在、人気インフルエンサーとしても活躍されている蓬郷さんですが、子どもの障がいが判明したときは、「絶望のあまり、娘とこの世を去ろうと考えた」と語ります。(全3回中の1回)

「長女と全然違う」きょうだい間の発達の差に疑問

生まれたばかりのゆいなさんと、3歳年上の姉・ここなさん
生まれたばかりのゆいなさんと、3歳年上の姉・ここなさん

── 蓬郷さんの次女、ゆいなさんは2歳のときに「自閉スペクトラム症」の診断を受けたと伺いました。当時のゆいなさんは、どのような様子だったのでしょうか。

 

蓬郷さん:2歳のころのゆいなは、私が言っていることをまったく理解しておらず、意思の疎通ができていませんでした。ほかにも、目を合わさない、名前を呼んでも振り向かない、指差しをしない、よくわからないタイミングで泣くなど…。しかも、1度泣き出すと大暴れしてしまうんです。ゆいなの3つ上には姉のここながいるのですが、私と夫は「ここなとは全然違うよね」とよく話していました。

 

また、私は学生時代から福祉に関心を持っており、大学では、環境デザイン学科で「障がい児」をテーマにしたゼミを受講していました。自閉症時の育児を描いた漫画『光とともに』を読んだのもこのころのこと。自閉症児を育てることの大変さに衝撃を受け、その後の卒業論文も「自閉症」をテーマに選んでいたんです。

 

このように、学生時代から「自閉症児の特徴」をよく知っていたからこそ、ゆいなに対して「もしかしたら」という不安が強まっていきました。

 

── 姉であるここなさんの子育てと大学時代の学びがあったからこそ、ゆいなさんの様子に疑問を抱いたのですね。

 

蓬郷さん:そうですね。自治体の定期検診でも、ゆいなは集団のなかに入ることが難しく、保健師さんからは「まだ小さいからなんとも言えないけど、心配なら発達検査を受けてもいいかもしれません」と言われていました。私は「まだ小さいからだ。大丈夫」という気持ちがある一方で「おかしいなら『おかしい』と、誰かにはっきり言ってもらいたい」という気持ちがあり、不安と葛藤の連続で、モヤモヤした日々が続いていました。

 

── その後「検査を受けよう」と考えた理由は…?

 

蓬郷さん:「診断をくだしてもらいたい」という気持ちが強まったからです。当時のゆいなは、危険への認知や予測ができなかったため、外出中は気を抜くことができません。「危険」を教えようとしても、私の言葉を理解できず、大ケガしそうになったことがありました。

 

元来、私はアウトドア派で、ゆいなを産むまでは「子連れでも友だちと会ったり、遊びに行ったりしたい」と考えていたんです。でも、ゆいなと一緒では友だちとおしゃべりする余裕なんてありません。ゆいなが外で泣き出すたびに感じる周りからの視線も痛くて、「ゆいなと一緒に外に出たくない」という気持ちが強まっていきました。本当に毎日がしんどくて、ゆいなといる時間を楽しいと感じることができず…。そのような日常のなかで「発達に何かしらの遅れがあるのなら、早めに対応すべきかもしれない」と考えるようになり、検査を受けることを決意しました。

 

その後、病院で脳波を調べてもらい、「重度知的障がいを伴う自閉スペクトラム症」であることがわかったんです。