突然の「特別支援学校」の就学通知に愕然

蓬郷由希絵
2歳ごろのゆいなさんと蓬郷さん。外出するのも大変だった

── 保育園と療育を併用しながら過ごしたゆいなさんですが、小学校選びはどのように進めたのですか?

 

蓬郷さん:当初、「特別支援学校」か「地元の小学校の特別支援学級」で迷っていました。特別支援学校は、障がいのある子どもたちに特化した教育を受けられる場所。「地元の小学校とはカリキュラムが異なるけれど、特別支援学校でゆっくり学んでいくのもいいかな」という思いがありました。

 

そのいっぽうで「近所の顔見知りの子たちが通う学校に行かせてあげたいな」という気持ちもあって。どちらの学校に通わせるべきか悩んでいましたが、「とりあえず見学に行こう」と考えて、家族全員で特別支援学校に見学に行ったんです。ひと通り見学を終えた後、ここなが「今までゆいなが頑張ってきたことが、ここではできないね」と言いました。

 

ここなが、なぜそう感じたのかはわかりません。でも、ここなは、ゆいなが療育に通いはじめたころから、療育施設に同行することがあり、ゆいなの頑張りをそばで見守り続けてきました。そのここなの素直な気持ちから発せられた言葉に、私の気持ちが固まりました。「地元の小学校でできるところまで頑張ってみよう!」と目標を定めることができたのです。

 

── それ以降は、「地元の小学校に通う」ことを目標に、療育と家庭での教育に力を入れて行ったのですね。

 

蓬郷さん:そうです。しかし、ゆいなが年長になったある日、保育園から「特別支援学校への就学通知」を渡されて…。私たちが住んでいる地域では、自治体から各保育園に就学通知が届き、各家庭に渡されるというシステムだったんです。地元の小学校には、支援が必要な児童のための特別支援学級があるにも関わらず、何の相談もなしに選択肢からはずされてしまったことに愕然としました。この対応に納得がいかなかったため、訂正を求めて教育委員会に直談判。「保護者の意向を確認せずに、判断するのはおかしいのでは」と訴えました。

 

── その後、就学先は変更できたのでしょうか。

 

蓬郷さん:結果的には、地元の小学校の特別支援学級に入学することができましたが、小学校側は、ゆいなの受け入れに対して難色を示していました。ゆいなのように重度の知的障がいがある子は、特別支援学校を選択することが多いため、「やはり特別支援学校がいいのでは」と勧められたんです。それでも私は、「ゆいなのサポートに家庭でも力を尽くすから」と強く訴え、受け入れてもらうことに。以降は、小学校側と情報共有をしながら、入学準備に努めました。

 

── 入学準備で大変だったことは?

 

蓬郷さん:特に大変だったのは、「徒歩通学の練習」です。自宅から小学校までは、約3kmの距離があり、子どもの足では40分ほどかかります。「車が来たら避ける」「障害物を避けながら進む」など、細かなルールを確認しながら練習を重ねました。

 

今でも、ゆいなが何かを成し遂げるためには、「練習と準備」が欠かせません。ときには、「ひとつのことをできるようになるまで、なんだこんなに時間がかかるんだろう、めんどうくさいな」と感じることもあります。でも「繰り返し練習すればできるようになる」ということをここまでの歩みで学ぶことができましたし、「できた」瞬間のゆいなのうれしそうな表情を見るたびに、私も「次も頑張ろう」と心に火を灯すことができるようになりました。

 

不安と絶望から始まったゆいなとの日々。気持ちが挫けそうになることもありましたが、ゆいなの成長をそばで感じながら、「立ち上がり続けてよかった」と思っています。

 

 

ゆいなさんが小学校に入学してからも、蓬郷さんは「授業」や「宿題」「行事」など、次から次へとやってくる難題をクリアするために動き出します。ゆいなさんが不安なく学校生活を送れるようにと、先回りでの対応を徹底し続けました。その結果、修学旅行にも参加でき、中学生になった今は、自転車通学で通えるほど成長したそうです。


取材・文/佐藤有香 写真提供/蓬郷由希絵