ずっと憧れていたバスケ選手が異母兄だった

── 番組側が探した結果、お父さんは日本で俳優活動をしていた方ですでに亡くなっていること、異母兄が元プロバスケットボール選手で日本代表も務めた高橋マイケル選手だったことが判明したのですよね。そのときの心境はいかがでしたか?
副島さん:最初は「怖い」と思いました。僕は中学から大学まで10年間バスケットボールに打ち込んできたし、いまは俳優の仕事をしています。大げさに言えば「運命」を感じて怖いと思ったんです。高橋マイケル選手に関しては、バスケットボールを始めてから知った憧れの選手でしたが、まさか血がつながっていると思ったことはないですし、俳優も父がやっていたから始めたわけじゃないです。何かに導かれるようにバスケットボールをやって、俳優をしている自分が怖くなりました。
── 映画やドラマのようです。
副島さん:ちょっとできすぎですよね。
── お母さんも高橋マイケル選手が副島さんの異母兄だったとは知らなかったのですか?
副島さん:父に別の家庭があったことは、まったく知りませんでした。ただ、学生のころ、僕が読んでいたバスケットボール雑誌に高橋マイケル選手が載っているのを母が見て「ちょっと淳に似てるからお兄ちゃんなんじゃない?」と100%ジョークで言ったことがあったんです。「そんなわけあるかい」と返したのを覚えていますが、それが本当だったという…。
テレビ番組収録時がコロナ期だったので、高橋マイケル選手とはリモートでお話しさせてもらったのですが、高橋選手のお母さんも『あさイチ』に出ている僕を見て「なんかマイケルに似ているね」と言っていたらしいんです。
── 血のつながりはどうやって発覚したのですか?
副島さん:父がもう亡くなっていたので、僕と高橋マイケル選手でDNA鑑定をさせてもらいました。その結果、高橋マイケル選手と僕は99.9%父親が一緒だという鑑定だったんです。それを知ってなぜか涙があふれて止まらなくなりました。たぶん、その瞬間、自分の父親というものを初めて認識したんだと思います。「会いたかったな…」という気持ちが急にわいてきました。
── ご存命だったら会いたかったと。
副島さん:でも、もし生きていてスタジオでご対面、という形だったらそんなに泣かなかったと思うんです。父親に対して好きも嫌いも憎いもないから、会っても他人という感じであまり感情が動かなかった気がするんです。逆に亡くなってたというのを知ったうえでの判明だったから、心が動いたというか。
あと、父は高橋マイケルさんとは一緒に住んでいた時期があり、父が高橋マイケルさんを抱っこしている写真をご厚意で見せてくださったんですね。そこで初めて名前も顔も知らなかった父親が形としてはっきりしたんだと思います。こうやって存在していたんだったら、俺も抱っこされたかったな、みたいな感情がわいてきて泣いたんじゃないかな。放送を見ると思ったより号泣していて、自分でもびっくりしました。