抵抗するほどいじめがエスカレートし
── 小学生のころはどんなお子さんでしたか?
副島さん:葛飾区にいたころは、友達もいっぱいいましたし、みんなと楽しく過ごしていました。でも、小学校4年生の途中で母がパートナーと離婚して千葉県に引っ越し、そこからいじめにあうようになりました。葛飾区ではマンモス小学校に通っていて、人数が多いからオープンな雰囲気ですし、保育園からの友達もいて楽しく過ごしていたのですが、千葉の小学校は人数が少ないうえに、児童のほとんどが学校の目の前にある団地の子だったので、昔からの知り合いしかいないような閉鎖的な環境だったんです。
── どのようなことからいじめが始まったのでしょうか?
副島さん:やはりこの目立つ見た目です。最初はミックスルーツ(ハーフ)の身体的特徴をネタにされ、だんだんいじめがエスカレートしていきました。仲間はずれに無視、暴力もありました。トイレのデッキブラシで体をこすられたり、サッカーのゴールにひとりで立たされ、僕を的にしてボールを蹴られたりもしました。
最初は抵抗しましたが、抵抗すればするほど相手はおもしろがってどんどんいじめてきます。学校の先生にも相談して対応はしてくださったのですが、逆に先生が見ていないところでいじめが増えていきました。それで、抵抗したり、先生に言ったりするのは得策じゃない、と気がついたのが小学5年生くらいです。
あまりのつらさに絶望して…

── お母さんにも相談されたのですか?
副島さん:母親には1度だけいじめられていることを言いました。いじめが始まってすぐではなく、少し時間が経ってからです。僕としてはかなり思い悩んでモヤモヤしていたので、その気持ちを母親にぶつけて「死にたい」「勝手に産んでくれて迷惑だ」というようなきついことを言ってしまいました。でも母はすごく強い人なので、笑い飛ばして「いつか自分が生まれてきてよかったと思うときが来るよ」と言われました。「クラスの隅っこにいても、何をしても目立つんだから、お前は特別な存在なんだよ」と。当時はその意味がまったくわからず、何でわかってくれないんだと思っていました。いじめは小学校を卒業するまで続きました。
── あまりのつらさに団地の屋上から飛び降りようと思ったことがあるとご著書にありました。
副島さん:小学5年生のときです。誰に何を言ってもいじめはひどくなるから、もう僕はダメなんだ、と絶望して。死んだほうが楽なんじゃないかという思考になりました。団地が12、13階建てだったと思うのですが、その屋上に立って下をのぞきこんだら足がすくんで怖くなり結局、飛び降りることはできませんでした。