「期待しない」「最初から諦める」マインドで
── 当時、生きるための心の支えになっていたのは何ですか?
副島さん:メンタルコントロールをすることです。「期待しない」「最初から諦める」という心を持つことで自分を保っていました。希望を持ってしまうと、それが叶わなかったときに深く傷ついてしまうので…。悲しいことですけどね。あとは、テレビのバラエティ番組やお笑いを見ることで気分を晴らしていました。好きだったのは『ボキャブラ天国』や『マジカル頭脳パワー』です。
── 学校の先生やお母様以外に相談できる大人はいたのですか?
副島さん:「いのちの電話」にも、電話をかけて相談したことがあります。学校のプリントで配られた電話番号にかけて、話を聞いてもらいました。それだけで少し心が軽くなった気がしました。
── いじめのつらい経験をメディア取材や講演会で話し続けていらっしゃるのは、どのような思いからですか?
副島さん:「僕の人生を聞いておもしろいのかな?」「何かの役に立つのかな?」と最初は疑問に思ってはいましたが、人前で話すのがイヤだと思ったことはないです。メディア出演が増えるにつれて、父親と一緒に暮らしたことがなく、いじめにあっていたことなどが知られるようになり、講演活動に広がっていきました。自分の経験をただ話すだけですが、講演会でダイレクトに多くの反響をいただくうちに、伝える意味をだんだん見出してきたという感じです。
この30年でミックスルーツの子を見かけることが増えましたし、そういった子に少しでも寄り添えたらいいなと思います。ただ、10、20代のミックスルーツの子から届く悩みを見ていると、いじめの内容は30年経ってもほとんど変わっていないです。とはいえ、僕の話を聞いて励まされたという当事者の子や親御さんからの声は届いているので、少しでも役に立つなら続けていきたいと思っています。
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一時は団地の屋上から飛び降りようとするほど、いじめが続く日々に追い込まれた副島さん。しかし中学校入学を機にバスケットボールを始め、顧問の先生と出会ったことで、その後の人生が大きく変わっていきます。芸能の仕事を始めたきかっけも、大学生時代のバスケットボール関係者から誘われたことがきっかけだそう。NHK『あさイチ』のリポーターを経て、今では舞台や映画で俳優として活躍を続けています。
取材・文/富田夏子 写真提供/副島 淳