子どものときに唯一「たりなかった」もの

── 子どものころからの経験が、いまの假屋崎さんの美意識を培ってきたのですね。

 

假屋崎さん:こうして花開いたのだから、両親のお金の使い方は「生き金」だったということなのでしょうね。美しいものに触れさせてくれ、クラシックのコンサートにもたくさん連れて行ってもらいました。そうした積み重ねが私の感性を養ってくれた。ですから、とても感謝しているんです。

 

── 当時はお金を貯めて家を買うことが人生の成功とされる、「マイホーム信仰」が根強い時代でした。そんななか、ご両親のように「貯金ゼロで人生を楽しむ」という生き方は、ある意味なかなか勇気がいる選択だったと思うのですが…。

 

假屋崎省吾
園芸少年だった7歳ごろの假屋崎さん

假屋崎さん:最終的には故郷に戻るつもりだったらしく、それならムリして東京に家を買う必要はないとも思っていたみたいです。でも私は逆に「マイホームが欲しい」と、ずっと思っていました。

 

── それはなぜでしょう?

 

假屋崎さん:幸せな子ども時代でしたが、唯一、引っかかっていたのが、家が借家で狭かったこと。当時住んでいた東京・練馬の石神井は地主さんが多く、お友だちもお金持ちの子がたくさんいたんです。お家に遊びに行くと大きなお屋敷に広い庭。「どうしてうちとはこんなに違うんだろう」と、子ども心にうらやましく感じていましたね。

 

だから、大学に入ったころ、私の方から「今日から節約しましょう」と両親に提案しました。使いすぎていたぶんを貯金に回し、マイホームの頭金を貯めることを目標に、日々の暮らしを見直すようになったんです。現在住んでいる鎌倉の家は、敷地が1000坪以上あります。四季折々の草花に囲まれた静かな環境。建物も庭も、自分の理想を一つひとつ形にしてきました。軽井沢にある1300坪の別荘も、自然の中で穏やかに過ごせるように整えています。どちらも、私なりの美意識がつまった住まいです。

 

私が家にこだわるのは、きっとあのころに感じた家についての不満なのだと思うんです。最初から何にでも恵まれていたら、そんな気持ちは芽生えなかったかもしれません。家や土地への執着も、緑や花に囲まれて暮らしたいという気持ちも、あのころの憧れから来ているんでしょうね。