華道家としての仕事やメディア出演など大忙しだった假屋崎省吾さんですが、いまはほぼ華道家メインで活動中。人生の後半戦、自分らしく働こうとした決断の裏に、両親の教えや幼少期の憧れがありました。(全3回中の3回)

中流家庭でもお金を惜しまず使った親からの学び

──「カーリー」の愛称で親しまれ、歯に衣着せぬ発言と華やかな存在感でバラエティ番組にも数多く出演されてきた華道家の假屋崎省吾さん。最近ではテレビでお見かけする機会が減り、惜しむ声は多いです。

 

假屋崎さん:そう言っていただけるのはうれしいですけれど、私自身は芸能界にはまったく未練がないんです。散々やってきたので「もうそろそろいいかな」という気持ちですね。もちろん華道家としての活動に光を当ててくださる番組なら出演することはありますが、いまは花教室や個展で手いっぱい。

 

それに加えてピアノも弾きます。趣味として長く親しんできたのですが、音楽と華道を融合させたパフォーマンスとして演奏することがありますし、着物のデザインも手がけていますから、つねに全国を飛び回っていて、とにかく忙しい。時間が全然ないんです。いま、66歳で人生後半戦ですからね。これからは本当にやりたいこと、好きなことだけに没頭したいと思っているんです。

 

── 華道家として42年。美しさを追求し続ける人生の原点には、ご両親の存在があったそうですね。

 

假屋崎さん:両親は人生を楽しむことにお金を惜しまない人たちでした。おいしいものを食べ、好きなところに旅行し、私の教育にも惜しみなくお金をかけてくれました。といっても、けっして裕福な家庭ではなく、ごくふつうの中流家庭で、父は区役所の公務員、母は専業主婦。育ったのは、東京・練馬区の都営住宅です。両親は持ち家を持たず、貯金をいっさいしないで、その日その日を楽しむことにお金を費やしていました。

 

大胆さと繊細さが共存する假屋崎さんのいけばな(花材:ユリ・愛知県田原市 / バラ・京成バラ園 )

母は料理上手で大量に作っては、近所の人たちを招いて振る舞っていましたね。父は真面目で、付け届けなどもいっさい受け取らない公正な人でした。両親ともに田舎育ちでお花が大好きだったので、小さな庭にいろんな花を植えて園芸を楽しんでいたんです。その影響で私も幼いころから自然と手伝うようになり、「お花って素敵だな」と感じるようになりました。

 

園芸少年になった私の愛読書は『趣味の園芸』。ちょっと変わった子でしたが、母は私のやりたいことを否定せずに応援してくれました。私にとって「園芸」が花と触れ合う原点だったんです。

 

── いけばなとの出会いは、どんなきっかけだったのでしょう?

 

假屋崎さん:大学生のころ、たまたまいけばな講座のテレビ番組を見て「花を切って器にいけることで、こんな素敵な空間が生まれるんだ」と、衝撃を受けたんです。それがきっかけで、大学2年生のときから華道教室に通い始めて、気づけばもう40年以上経ちましたね。