最初に左胸のしこりに気づいたのは2019年ごろ。当初は「脂肪の塊かな」と考えていたが徐々に大きくなり不安に。チアリーダーとしてアメリカで活動する本田景子さんに突然言い渡された病状。彼女の胸の内、そして病を患って気づいたこととは。(全2回中の2回)
アメリカで感じた違和感…コロナ禍で帰国できず

── 社会人に入ってからチアリーダーに挑戦し、2018年にアメリカン・フットボール最高峰、NFLのジャガーズのチアリーダーに。夢を掴んだ本田さんですが、2023年に乳がんと診断されました。最初に違和感を抱いたのはいつごろだったのでしょうか。
本田さん:2019年ごろだったと思うんですけど、あるとき、左脇に小さいコリコリしたものがあるのに気づいたんです。誰に相談していいかもわからず、しかも言ったところで相手も困るよねと。おかしいと思いながらも少し様子を見ていました。
しばらく経ったころ、元NFLチアリーダーの友人に相談して、紹介してくれた産婦人科医に電話で状況説明をしたら「大きな病気ではないだろう」ということだったのでいったんは安心したんですが。それでも気になってしまって。次に日本に帰国したときに病院で見てもらおうと思ったところでコロナ禍となり、帰国できなくなってしまいました。引き続き経過観察をすることにしたんですが、その左脇のしこりがどんどん大きくなっていることに気づいて。さすがにこれはおかしい、早く診てもらわなければと不安に駆られました。
── 2023年夏に帰国された際には日本で検査を受けることができたんですよね。
本田さん:最初に行った病院では「わからない」と言われました。大学病院を紹介されて予約を取ろうと思ったんですが、電話がなかなかつながらない。半ば諦めかけたときにそのことをインスタに書いたところ、それを見た小学校時代の同級生が連絡をくれて。「大学病院ではなくても、ここなら検査できる施設が備わっているし予約も取れそうだ」と病院を教えてくれたんです。そこに電話をしたら予約することができて、マンモグラフィーと超音波検査を行いました。
検査の結果、「これはかなり(がんの)可能性が高いね」と告げられたときは頭が真っ白でパニックでしたね。病院からの帰り道は涙が止まりませんでした。「私、死ぬのかな」「人生真っ暗だな」って。
── そのときにNFLでチアリーダーをされていることは病院の先生にはお伝えしたのですか。
本田さん:先生にはがんはステージ1で進行速度もかなり遅いタイプの可能性が高いと言われ、いくつかの治療法を提示されました。ただ、いずれにせよ生検をしてがんであることが確定したら医師としてアメリカに帰すことはできないと言われてしまって。
私はどうしてもアメリカに戻ってジャガーズのラストシーズンをまっとうしたいという気持ちが強かったので、先生のアドバイスもあり日本では生検を受けず、アメリカでシーズンを終えた後に帰国して検査を受けることにしました。最終的に治療法を決断したのは私自身ですが、もしシーズン中に辞めていたらきっと後悔していただろう思います。
── ご家族にはどのように報告されたんですか。
本田さん:心配をかけたくなかったのと、医師から言われたことを伝えたらアメリカに戻ることを止められると思ったので、本当のことは言わずにアメリカに戻ったんです。もちろんその後、ステージ1で医師からも大丈夫だと言われていることは伝え、なるべく心配かけないようにはしました。
ただ、そのときはシーズンを終えたらアメリカでの活動に見切りをつけて、日本に帰ろうと思っていたんです。でも、アメリカに戻ったら戻ったで、生活していくなかで、もし治療が手遅れになったらチアを最後まで完遂したことを後悔するかもしれないと思ってしまったり。とにかく心配で何事にも集中できない日々が続きました。だから、日本では生検はしなかったので、がんなのかどうかをまず判明させて、いろんな決断をしようと思いました。