彼女と間男との話し合いで何もかもが嫌になった

川瀬名人
お笑い芸人を目指して上京後に数々のトラブルが…

── それは…つらいですよね。

 

川瀬名人:初めてできた彼女でしたし、19歳から26歳まで、7年間つき合っていたんです。人生でいちばん青春だと言ってもいい時期を、全部捧げた相手だったんで。彼女との思い出が走馬灯のように駆け巡って、僕はその場に倒れました。床に顔がついた瞬間、テーブルの下で彼女とZAZY似の男が手をつないでいるのが見えました。

 

── 悲しすぎます…。

 

川瀬名人:何もかもが嫌になって、「家を出て2人で勝手に暮らしてください」って言ったんです。そしたら彼女に「彼は、実家暮らしだから無理」と言われました。話を聞いたらZAZY似の男は35歳で、実家暮らしのフリーターでした。

 

── 自由な方だったんですね。

 

川瀬名人:ショックですよ。僕がバイトをしながら、必死にお笑いのネタを作っているときに、実家でのんびり暮らしながらバイトをしている35歳の男に彼女をとられるなんて。許せなくて。しかもZAZY似の男にですよ。そんな奴に負けたんやと思ったら情けなくて。僕が家を出ることにしました。そこから、公園で寝泊まりする生活が始まりました。東京に出てきてすぐだったから、頼れる友達がいなかったんです。

 

── 家を出た後は、どのように生活をされていたんですか?

 

川瀬名人:夜にカラオケ店のバイトが終わって、そのあと公園や駅で寝て、朝になったら養成所に通う、という生活を送っていました。お風呂はスポーツジムのものを使っていました。当時、お試し期間中は会費無料というジムがいくつかあって、そういうジムを転々としていたんです。家はなかったけど、お風呂は充実していました。洋服や生活に必要な最低限の荷物は、バイト先のロッカーに入れていましたね。

ホームレス生活で気づいたこと

── 家は借りられないものなんですか?

 

川瀬名人:当時、盗難にあったんです。財布を盗まれてしまって、保険証とか身分を証明できるものが何もなくなりました。「バイトしてお金を貯めて、家を借りたらいいじゃん」って言われたんですけど、そもそも住所や身分を証明できるものがないと、家って借りられないんです。お金があっても、それだけじゃダメなんですよね。親に相談すればよかったのかもしれません。でも、芸人になるって決意して上京して、まだ1年も経っていないうちに親を頼るのをなんだか情けなく感じてしまって、言えませんでした。

 

── ホームレス生活をして気づいたことはありますか。

 

川瀬名人:雨をしのげる場所のありがたさですね。10か月間くらいホームレス生活をして、公園で寝ていたんですけど、やっぱり屋根があるベンチは本当にありがたかったです。屋根のある場所を見つけると、それだけでテンションが上がってました。あとはユニクロの素晴らしさですね。ホームレス中に一度、雪が降ったことがあって、そのときはさすがに寒すぎて絶望的な気持ちになりました。でも、ユニクロがあったおかげで生き延びられたと思います。ヒートテックがすごく温かかったんですよ。実際にユニクロに救われている方も多いんじゃないでしょうか。