大学で建築学科に進学するも

2023年旅行で バリを訪れた時

── その悩みを打ち明けられる友達はいませんでしたか?

 

HARUさん:仲のいい友達はいましたが、悩みを打ち明けることはどうしてもできませんでした。学校の帰り道に公園でおしゃべりをするくらいなら楽しめるのですが、さらに仲良くなって、友達の家に遊びに行ったりお泊りに行ったりすることに抵抗があったんです。「オナラが止まらない」という症状のせいで、どうしても一歩を踏み込みきれませんでした。高校生のころは親に大量に買ってもらった浣腸を、常にポーチの中に忍ばせていたほどですから。

 

「どうして自分だけがこんな体質なのだろう?」と、当時は恥ずかしさと戸惑いでいっぱいの毎日でした。誰にも相談できず、ひとりで抱え込んでいたこと自体もつらかったです。

 

ネットで検索しても、当時はIBSの情報がほとんど見つかりませんでした。後からわかったことですが、IBSには下痢型・便秘型・混合型・分類不能型の4種類があり、私が発症していたのは便秘型だったんですね。そして、日本で初めて下痢型のIBSを対象とした「イリボー」という薬が処方されるようになったのは、私が高校2年生のときでした。ですから、いくら情報を探しても到底見つけようがなかった。

 

そんなふうにずっと悩みを抱えた中高時代を経て、「将来は建築家になりたい」という夢を抱いて大学の建築学部に進学したのですが、そこでようやく転機が訪れたのです。

 

── 大学ではどのような転機が訪れたのでしょう。

 

HARUさん:私が進学した建築学部では大学3年生から専攻コースが分かれるのですが、いちばん行きたかった設計コースはほかのコースよりも授業時間が格段に長く、かつ製図室での長時間作業が大前提だったんです。密室で長時間、自由に席を立てない環境に耐え続けることは、IBSの私にはあまりに過酷でした。

 

どんなに努力しても体が限界に達するとどうにもならない。症状が出れば、誰かに迷惑をかけるかもしれない。その緊張感と体調の不安が重なって、悩んでいた期間はずっとIBSの症状も悪化してしまって…。

 

無理に続けていたらきっと自分は壊れてしまう。その確信があったので、悩んだ末に設計の道は諦めました。いちばん好きなことだったからこそ、悔しくて苦しかった。

 

ただ、結果的には別のコースを専攻したことがいい方向に転じました。時間が余ったことで所属していた美術部の活動に力を注ぎ、部長を任されたことによって、初めて自分がマネジメントに向いている発見があったんですね。あのとき「諦める」という選択をしたことが、今の自分に繋がっています。

 

おかげで卒業後はマネジメント能力を活かせる会社に採用され、やりがいのあるホテル開発の仕事に8年間携わることができました。