夢を見つけるために上京、意外な人物がアドバイスを
──「東京に行く」と伝えたとき、周りはどんな反応でしたか?
赤プルさん:誰も驚かなかったですね。地元の仲間たちからはもともと突拍子もないことを言う子だって思われていたので(笑)。家族も「また変なこと言ってるよ」って呆れている感じでした。

── そこからどんな転機が?
赤プルさん:上京して始めたイベントコンパニオンの仕事で、たまたまお笑い芸人さんとの出会いがありました。それがお笑いコンビ・いつもここからの山田(一成)さんでした。正直に言うと、それまでは自分が本気でやりたいものが何なのかわからず、ぼんやりとした憧れを追っているような感じでした。生まれて初めて出会った「お笑い芸人さん」を前に、思わず「私もお笑いやってみたいです」と咄嗟に口走ってしまったんです。今思うと失礼だったと思うのですが、山田さんが驚いた様子も見せずに、「やりたいなら、やったほうがいいよ」と言ってくださって。「え、お笑いって私にもできるんだ」と勇気をいただいたと思います。
とはいえ、借金があるから養成所には通えない。そのことを山田さんに相談すると「ネタを作ってライブに出れば芸人になれるよ」って教えてくれたんです。山田さんは、まだ駆け出しだったヒロシさんにもネタのアドバイスをしていて。私にも「ネタを見るよ」って言ってくれました。それで、実際に山田さんがネタを見てくださったおかげで、ネタを作ることができて。ありがたかったですね。当時は「山田塾」って呼んでいました(笑)。
── そんな意外な関係が。
赤プルさん:そうなんですよ。それまでは「日々の生活で感じたあるある」のようなものを書き溜めていたのですが、どうもイマイチで…。「おめら、いつまでも調子にのってるんじゃねえからな」っていうのは中学時代に先生からよく言われていた言葉なのですが、その先生のマネをしてみたら、山田さんが「それおもしろいな。ブリッジにしたらどう?」ってアドバイスをくれて。その茨城ネタがお笑いライブでウケたんです。