色気とか女は出したくなかったけれど

── ミニスカートで茨城弁のネタは、すごくインパクトがありました!

 

赤プルさん:もともとはジャージを着て「茨城の田舎からやってきました」って感じでやっていたんです。でもテレビに出るときに、「ミニスカートのほうがいいんじゃないか」って言われて。本音を言えばあまり色気とか女を前面に出したくはなかったけれど、それで笑いが半減せずに武器になるのなら取り入れていこうって割りきることに。イベントコンパニオンをやっていたこともあり、ミニスカートにもそれほど抵抗はありませんでした。結果的に、それがうまくハマったのでしょうね。当時、自分ではギャル風のつもりでしたが、スナックのお姉ちゃんみたいになっちゃってましたけど(笑)。

 

赤プル
デビュー当時はミニスカートがデフォルトだった

ちょうどそのころはバラエティ番組が増えてきたタイミングで、お笑いのライブ会場にテレビ番組のプロデューサーやディレクターがよく観に来ていたんです。ライブを観てくれた番組スタッフの方の目に留まったみたいで、そのまま初めてのテレビ出演が決まりました。

 

初出演は2004年4月、『シブスタ』(テレビ東京系)という番組の若手コーナーでした。当時、お笑いを始めてわずか4か月でした。芸人たちがネタを競うという企画だったのですが、何週にもわたって視聴者投票で1位を獲得することができたんです。それが『エンタの神様』の出演につながりました。芸人になってちょうど半年後だったと思います。実力というより運です。本当にラッキーでした。

 

── お笑いブームのなかで、デビューしてすぐにブレイクされたのですね。

 

赤プルさん:2004年4月に初めてテレビに出てから、2005年まではどんどん仕事をいただけるようになりました。でももともと実力不足だったこともあって、2006年には行きづまってしまい…。仕事が急激に減ったときは、やっぱり厳しい世界だと痛感したし、「私にはお笑いの才能がないんだ」って落ち込んで。お笑いを辞めようと思った時期があります。でも、ありがたいことにポツポツとライブに呼んでいただけるんですよね。だから、声がかかるあいだは続けようと思って、続けていたらここまで来た、という感じです。

 

 

セクシーを武器にしながら芸人として活動を続けるなかで、恋愛にすっかり興味を失っていた赤プルさんですが、粘り強く口説いてくる男性がひとり。それが今の夫で相方でもある松丘慎吾さんでした。恋愛に前向きでない赤プルさんが松丘さんとおつき合いをし結婚を決めたのは、怒っても手を出さず、笑わせれば忘れてしまうようなあっけらかんとした性格に惹かれたからだそうです。

 

取材・文/池守りぜね 写真提供/赤プル